ひろゆき

しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイスのひろゆきのレビュー・感想・評価

3.2
銀幕短評(#440)

「モーディ」主人公の名
2016年、アイルランド、カナダ。1時間56分。

総合評価 64点。

この映画のモチーフは、物質的な豊かさと精神的な豊かさ、その拮抗のうえに成り立つ “しあわせ” です。ちょっと紋切り型に過ぎていて、新しい切り口は出ないと思いますが、ほかに語るに足るものをもたない映画なので、以下 がんばって考えてみます。

「オアシス」の回でこう書きました。
幸福とは「未来に対する展望に裏打ちされつつ、いまこの瞬間にこころ穏やかで満足し、ゆとりを感じていること」だと思います。したがって、たとえば長患(ながわずら)いで病院のベッドに じっとふせっているひとは幸福ではない、などと一概に決めつけることはできません。
と。

物質的な豊かさは目に見えます。モードの住む粗末な家よりは 避暑に来ているサンドラの住む家のほうが、広くて便利でここちよい。だれにしたところで。エベレットの乗る ぼろクルマよりは、ロールスロイスが快適だ。これらの豊かさは目にハッキリと見えます。それが自ずとステータスシンボルとなる。つまり社会的な成功者のあかしとして衆目から認知される。ただし、成功のアイコンであるがために、物質的な豊かさを 延々と際限なく求めるひとも出てくる。つまり、手段が目的に取りちがえられることが ままあります。

これに対して、精神的な(わたしは より厳密に 感情的な、といい換えますが)豊かさは、目には見えません(もちろん、落ち着いた物腰や柔和な表情が その人の内面の満足や ゆとりを示すかもしれませんが)。この感情的な豊かさは つねに揺れ動きます。家族や友だちと楽しく食事をすれば 感情は高揚し、たいせつな人との離別 とくに死別は断腸の苦しみをもたらします。つまり感情的な豊かさは大きく浮き沈み、うつろいます。

要するに、物質的な豊かさは短期的には変動しにくいのに対して、感情的な豊かさは つねに危うく揺れうごく。ほんとうにあやうく。感情の豊かさのベースライン(最後の あるいは最初の一線)は、これは忘れがちですが、じぶんが生きていることの大切さ、それが ひとをよりよく生かしていることの自覚 であると思います。損得の判断から いったん離れることです。よく生きようと努力して生きることです。

結論にとびつきますが、うえに引いた、
・未来への展望があること
・いま満足して、ゆとりを感じていること
が、幸福の正体であると わたしはやはり考えます。

そのためには、(物質的にささやかなものであっても)雨風をしのげる家に住みたいし 温かな風呂にも浸かりたい。その結果として、そのパートの感情(たとえば安心感や爽快感)が満足し、ほかの感情のパーツを満足させるための土台となり、エネルギーとなる。つまり感情の熱が これからそれへと伝わるのです。だから 感情の豊かさには、つねに新しい薪(まき)を 静かにくべる必要がある。自分がくべる薪はもちろん熱く燃えますが、ひとが差し出してくれる薪は ひときわ明るく長く燃えます。そのことを自覚することの大切さ。それをつねづね気に留めることが、物質・感情 ふたつの豊かさをバランスよく両立させ、幸福(じぶんだけでなく相互の)につなげる近道のような気がします。


やはり ありがちな答えになりましたね。すみません。


(コメントで補足しました。)
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