これほど緊張を強いられる作品もそうあるもんじゃない。1967年7月に起きたいわゆる「デトロイト暴動」(中でもアルジェ・モーテル事件)を、映画的な脚色や演出を極力廃してドキュメンタリータッチで容赦なく描き切るキャスリン・ビグローの胆力を賞賛したい。娯楽色は背後に退くが、本作でのカメラと人物及び対象への物理的距離は、われわれが普通に日常生活を営む中で遭遇するそれらに対するものと同等の距離になるように注意深く決められており、極端なクローズアップ、及び俯瞰はほとんど登場しない。それゆえ、観客はまるでデトロイトでまさに起きている事件の現場と同じ空間にいると錯覚しそうになるほどだ。鳥の目でも蟻の目でもない。まさに人間の目。
本作が提示する問題は、観れば誰しも(その人なりの感じ方/考え方によって)感じ入るのは必然だし、大したことを書けそうにもないから書かない。それにしても、このデトロイト暴動が発生した1967年からたった3年前である1964年まであのジム・クロウ法(アメリカ南部での黒人差別のための法体系)が生きていたわけで(今からたかだか50年前だ…)、それ及びメルティング・ポットたるアメリカにおけるもろもろの差別的思想の反動により逆にポリティカル・コレクトネス(PC)に神経症的に過敏になっているのが今のアメリカである。もちろん、差別が今も根強く存在しているからこそのPCであり、例えば白人警官が黒人を不必要に射殺する事件などは今も度々発生している。世の中は大して良くなっていない。
本作はクソな世界を知るために/せめてクソな思考及び行動に知らず知らずのうちに加担する愚を避けるために観る必要があるだろう。まあ2度は観たくないが。