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デトロイトのsatoshiのレビュー・感想・評価

デトロイト(2017年製作の映画)
4.8
 1967年にデトロイトで実際に起こった暴動をドキュメンタリー・タッチで描いた映画。しかし、本作で描かれたのは当時の暴動だけではなく、いつの時代、どこの国でも起こり得ることだったと思います。

 まず本作について言えることは、ドキュメンタリー・タッチの映画として、本当に素晴らしいという事です。本編は、終始動きまくるカメラと当時のニュース映像が本編にシームレスに差し込まれることで、まるで実際の暴動の記録フィルムを観ている気分にさせられます。

 また、本作は視点を1つに定めず、様々な人物の視点からこの暴動を語り、当時、この暴動で起こった出来事を淡白に見せていきます。例えば、中盤の警官が建物へ発砲したシーンとかですね。ここから、我々はこの暴動を俯瞰して観ている気分になります。

 ここまで、本作はドキュメンタリー的だと書いてきましたが、ストーリー的にも上手いのですね。というのも、先に書いたバラバラの登場人物について、接点のない彼らが惨劇の館に集結してくるストーリー運びが絶妙なのです。舌を巻きましたよ。

 ここの手法から抉り出されるのは、「マジョリティが力の無いマイノリティを暴力で押さえつける」という今でも繰り返されている構図です。また、差別問題に関しても、人々の中にある無意識下の差別を抉り出しています。例えば、コーヒーの下りとか、尋問の下りとかです。白人側には悪意はありません。自分たちにとって当たり前と思って発言をしていますし、行動しているのです。

 そしてそれらを一手に引き受けるのは白人警官チーム。素晴らしかったですね。最低な奴らで。人の話を聞かない自己中で、いくら論理的に説得しようとも聞く耳を持たない。彼らを見ていて、他人事だとは思えませんでした。彼らの根底にあるのは、「差別してやろう」という意識ではなく、「1警官として、市民を守る。そのために黒人を処罰する」というものです。白人の無意識下の差別意識を体現したような人物でした。

 これら差別シーンの中でも白眉だと勝手に思っているのが、ジョン・ボイエガの屋内の尋問シーン。最初の彼の尋問と後の白人側の尋問シーンの対比が非常に上手い。というのも、ジョン・ボイエガのときは彼を「犯人」と決めつけ尋問していました。ですが、白人になった途端、尋問が「やったのか?」と疑問形から始まり、しかも弁護士まで呼べるという優遇ぶりを見せます。いかに当時の黒人に人権が無かったのかが分かります。しかもそれが行われているのは、「当たり前」だから。問題にすらならないのです。

 加えて、作中の人々は、恐怖心に支配されています。先に書いた発砲シーンなどはその典型ですし、暴動を鎮圧する白人警官も「やらなきゃやられる」という恐怖心から行動しています。無意識下の差別意識に、恐怖。これらが暴動を混沌へと導いていくのです。

 後、素晴らしかったのはエンドロールです。あれにより、あの事件に関わった人たちのその後が映されることで、あの暴動で人生が滅茶苦茶にされた人間がいることが認識でき、より悲壮さが増します。

 さて、私は本作を観てとある漫画を思い出しました。『デビルマン』です。特に最後の悪魔狩りのシーンです。あれは人類がとある人物に踊らされて特定の人間を「悪魔」とし殺していく、若しくは魔女狩りよろしく捕まえて拷問していく過程を描いていました。そして漫画史に残る惨劇を生むことになるのですが、あちらも原動力は「恐怖心」でした。

 何故、アメリカで起こったのと似たようなことが日本で漫画にされているのか。それは、人類の歴史の中で、これと同じことが幾度となく繰り返されてきたからでしょう。マジョリティがマイノリティを暴力で押さえつける。確かに、今まさに世界で起こっていることです。ジョン・ボイエガは映画秘宝のインタビューで「今の時代はあの時代と何も変わっていない」と語っていました。本当にその通りですね。今年ベスト級です。
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