映画漬廃人伊波興一

曽根崎心中の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

曽根崎心中(1978年製作の映画)
4.4
洗い髪のまま夕涼みをする男女に込められた蠱惑(こわく)にも似た一途な眼差し
増村保造「曽根崎心中」

おそらくは寡黙さと誤解されかねない表現の簡素さ故か、あるいは近松(心中もの)という記号性故か、現代の観客も日本映画史もこの「曽根崎心中」を軽視しすぎているように思う。

同じATG系列でしばしば引き合いに出される篠田正浩の「心中天網島」を奇妙に好ましく思われているのは篠田作品の殆どが退屈だから、という反動性に他ならない。

では逆にその監督作の殆どが面白い増村作品の中で「曽根崎心中」はどうか

やはり面白いのです。しかも群を抜いて

時代劇の中なら破戒僧の方がはるかに似合いそうな宇崎竜童を強引に実直愚鈍なあきんどの倅に仕立てる事で笑うしかないような大根ぶりが際立ち、添い遂げる女郎・お初に、これまた娼婦になるために生まれてきたようにも、何かの過ちで身を持ち崩したかのようにも見える、我らが(さそり)梶芽衣子を配する仕掛けに触れるだけでも、それまでの「痴人の愛」「刺青」「卍」などキャスティングからして世界的文豪・谷崎潤一郎ワールドへの映画的拮抗を想起させ痛快です。

そもそも」「からっ風野郎」で三島由紀夫を完膚なきまでに叩きのめした映画史であまりに有名なエピソードを引き合いに出すまでもなく、増村保造の文豪への反骨精神は本当に面白い

それは同時に師匠・溝口健二への挑発でしょうか?

夕陽の余光の中でよじれたつぼみを準備し、夜の帳(とばり)を鋭敏に感知して一気に花開くように二人の情念が互いを刺すことで鮮血と共にほとばしるクライマックスは、ただただ圧巻の一言。
二人の人生よりも深い曽根崎の森の中、嬰児のように白くなった二人の亡骸は、薄闇を撥ねのけ、今にも明けようとする空と調和し観ている私たちの眼を潤ませます。