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あさがくるまえにのpanpieのレビュー・感想・評価

あさがくるまえに(2016年製作の映画)
4.0
予告を観てとても観たかった作品。
「ある過去の行方」や「ダゲレオタイプの女」に出ていたタハール・ラヒム、「わたしはロランス」を始めドラン作品の常連アンヌ・ドルヴァルが出ているのでフランス映画であるけれどもテーマが気になって観てきました。
この後「ノクターナルアニマルズ」を観た為若干引っ張られていてスコア下がってしまった気がするがこちらも素晴らしい映画だった。


ある健康なティーンエイジャーの男の子がシートベルトをしていなくて車の事故で脳死判定をされ両親はそれだけでも受け止められない突然の悲劇なのに臓器移植を迫られる。
当然憤慨して病院を出て行くのだけど落ち着いたら真剣に考える様になる。
器械で心臓は動いているが止めるとこの力強く打っている鼓動も止まってしまう。
昏睡と脳死の違いを理解しろと言われても回復の見込みは全くないとバッサリ医者から言われても認められない。
だって器械で生かされているとはいえ今にも目を開けそうな息子を見てしまったのだから。
医者から息子の状態を聞かされて父親が開口一番に「俺のせいだ。俺がサーフィンを教えなければ…」と何度も泣きながら呟く。
涙がこみ上げた。

やはり子供が親より先に死んではならないと思った。
子供は親の生きがいなのだからそれがなくなったら一体これから何に希望を持って生きろと言うのか?
もしも自分達に考えたくはないがこんな不幸が突然起きたら?
考えてはみたものの全く分からない。
答えは出せない。
そう思うと残されたこの夫婦の悲しみが押し寄せて来た。

息子の臓器で病気で苦しんでいる人に移植されその人が元気になる。
息子の臓器が他人の身体で生き続ける。
でも息子の亡骸にはギザギザの傷跡がつけられ身体の中は空っぽなんて嫌だと思う気持ちもよく分かる。
息子が生前臓器提供を希望していたかなんて分かる訳ない。
そんな話はしないと思う。
臓器提供を希望するというカードというものががあったと思うがそれを息子は持っていなかった。
その場合決められるのは両親のみ。
あなたならどうしますか?
そう突き付けられた気がした。

場面変わってアンヌ・ドルヴァル演じるクレールは心臓疾患を患っており移植しなければ助からない所まで来ている。
年頃の息子二人がいる。
奔放なまだ若い次男と真逆で真面目で母の事をいつも考え案じている長男は終始いらいらしている。
動き回ると心臓に負担がかかるからじっとしていてもらいたい長男の気持ちもよく分かる。
でもそれって生きてないよね。
どちらの気持ちも分かって辛い。

臓器提供を決めた夫婦が最後に器械を外す前に息子の両隣でぴったり寄り添って抱き合ったシーンも泣いた。
息子の臓器が誰かの役に立てるならって考えた両親が偉い。
私はそんな風に考えられないかもしれない。
臓器を抜かれた空っぽの身体の娘を想像できない。
こんな状況ですら想像出来ないのに。

タハール・ラヒムの移植コーディネーター役も良かった。
一分一秒を急ぐ医者を制して臓器を取り出す前に彼女から携帯へ送られた曲をイヤホンで聴かせる。
死んでいるのだから聴く事は出来ないのだけど彼を臓器提供者以前に1人の人間と扱う態度が素晴らしかった。
亡くなったこれから臓器提供をする遺族にとってはこんなコーディネーターなら許せるかもしれない。
実際どのケースもこうであって欲しいと願った。

対して移植される側のクレールの苦悩もよく描かれていて手術後彼女の瞳を輝かせていたラストの顔のアップは希望に溢れていた。

今作は移植する側、される側の遺族の立場を冷静に描き出しドキュメンタリー作品の様だった。
人間はいつか必ず死ぬ。
それが何十年先かもしれないし明日かもしれない。
病気で長く患うかもしれないし突然の事故で死ぬかもしれない。
自分が残して行く家族の手を煩わせない為にも出来る事は自分で決めて記録に留めておく事が大切なのかもしれない。
この亡くなった息子の両親はこの決断に至るまでの苦悩はあまりにも過酷で私は想像出来ない。
自分の子供にそんな想いはさせたくないから臓器提供の事もっと真剣に考えたり話し合った方がいいのかもしれないと思った。
自分の臓器が苦しんでいる人の役に立つなんて普段考える事はなかった。
こんな凄い映画にスコアつけてもいいのか悩む程考えさせられる映画だった。
苦しかったけど本当に観て良かった。
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