「ドーン!、と太鼓みたいな大きな音がしたと思ったら、あっちの空の向こうに真っ黒な雲のかたまりが見えた…。」
原爆が落ちた日の様子を、隠岐の島(おきのしま)から見ていた母はそう語っていました。
いきなり余談でしたが、この映画の舞台となった島根県の離島、隠岐の島は母の故郷です。
ところで、この映画は昭和世代にとっては大傑作。
昔は携帯なんて無かったから、女の子の家に電話する時には「お父さんとか、お母さんが出たらイヤだなぁ…本人が出てくれると良いなあ…」と、ドキドキしながら電話してたオヤジには、
また、
「この夏はどこへ旅行しよっか?」仲間と相談している時に「◯◯島には、スケベな女子大生が、うじゃうじゃ来るらしいぜ😍」と、しょーもない都市伝説を信じていた愚か者(はい🙋♂️)には、
これは超絶面白い青春(性旬)映画です。
しかも単にコメディではない。
この映画にはしっかりと芯があるんです。
思春期の少年が抱く好奇心や不安、素朴で純真な本音が表現されています。ヤンキーと文化系との交流も微笑ましい。
だから愛おしくてならない。すっげえ良い映画。登場人物もみんな大好き。
『おっぱいバレー』と並んで、誇るべき日本の大傑作性旬映画です。
ここから先は映画とはまったく関係ない話です。ダラダラ長いです。どうかスルーを。
フィルマークスのお友達から、母との思い出話を聞かせて欲しい、と、リクエストされていたので語らせてください。
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『ストーリー・オブ・マイライフ/オレの若草物語』
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【第一話/泣きっつらにバチん】
隠岐の島で過ごしていた少年時代の夏のある日、アブに刺されてワンワン泣いていた私に、母は「急いでおしっこをかけなさい!」と、命じました。
昔は、蜂やアブに刺されたら、おしっこ(人尿)を付ければ治る、という馬鹿げた田舎伝説があったんです。
で、、急いで、母からの命令に従おうとしました。、が、上手くいかず、そこいら中をおしっこまみれにしてしまいました。そしたら母は「なにやってんだい!このヘタクソおっ!」バチーン!と、ビンタを放ち、ワンワン泣いていたのが、ギャンギャン泣いていた、に進化したのをよく覚えています。
でも、いまにして思えば、なんて理不尽なビンタだったことか・・・。
だって、刺されたのは上腕だったんです。
そんなに、おしっこ飛ぶわけがない。
【第二話/それでもボクはやってない】
小学生の頃は評判の悪ガキでした。
いたずらで電車を止めてしまった時など、小田急電鉄の人達が学校へやって来て、大問題になってしまいました。
そんなことばかりしていたので、私の母からの信頼はゼロだったと思います。
そんな小学5年生のある日、学校から戻ると、母がいきなり、
「そこへ座りなさい」
と睨みつけてきたので、危険を察し、直ちに正座しました。
母「◯◯さん(クラスのいじめられっ子の女子)のお母さんから電話があった。背中にアザができていて、あんたにやられたと言っている。」
私「やってない。言葉でいじめた事はあるけど、暴力でいじめた事は一度もない。」
母「ウソをつくんぢゃなーい!」
ベシッ!ベシッ!ベシッ!ベシッ!
(ランドセルから抜いた30センチの物差しで私のほっぺやら太ももやらを叩く音)
私「やってない!」
ウェっ…ウェっ…ぶェッ
(嗚咽の音)
母「ウソをつくんぢゃなーい!」
ベシッ!ベシッ!ベシッ!ベシッ!
私「やってなーい!」
ウェっ…ウェっ…ぶェッ
こんなやり取りがどのくらい続いたのか?体感では永遠に感じました。
私がアザだらけになった頃、ようやく終わり、母は、◯◯さんのお母さんへ電話しました。
「うちの息子は何もしてません。」
とだけ相手に伝えて電話を切りました。
そして母は「ざんざんひっぱたいて悪かったね。」と、なんとも素っ気ない謝罪をして、買い物へ出かけてしまったんです。
普通に良識のある少年だったら、確実にグレます。
けど、その日の晩ご飯が、トンカツとハンバーグというダブルスペシャルオカズだったので、単細胞な私は翌日には忘れていました。
【第三話/母の日】
私はド貧乏の家庭で育ちました。
どのくらい貧乏か?例えば、家に玄関が無いんです。建物にドアは付いていて出入りはできますが、ドアを開けて直ぐにある靴を脱ぐスペース(土間)が無いんです。
だから、普段はドアの外側の壁沿いに履物は並べられていました。また雨の日には、ドアを開けて直ぐにある台所の片隅に、家族全員の履物が新聞紙の上に置かれていました。
一度だけ友人を家に招いたことがありましたが、あまりのボロ家にキミ悪がって、家に上がらず帰ってしまったのは、悲しい思い出です。
その頃、忘れもしない、小学1年生の"母の日"の出来事です。母の日にはプレゼントをするものだ、という風習を学校で知り、
私は母へ、
「母の日のプレゼントをお母さんに買いたいから、お金が欲しい…。」
すると母は私に、
「あげられるお金なんて無い。うちには余分なお金は無いの。だから、プレゼントは要らないわ。」
忘れもしない、一字一句このままです。
その時の悲しそうな母の顔も鮮明に目に焼き付いています。悲しみのトラウマです。
うちが貧乏なのは知っていたし、学校でみんなから馬鹿にされてたけど、貧乏なことが悲しかった訳ではなく、
お母さんに悲しい思いをさせてしまった。。。
ことが悲しかったんです。
この時、罪の意識から、人生初の"落ち込む"という絶望感に打ちのめされました。
その日の夜までずっと悩みました。
そして、いつか自分のお金で、必ず、お母さんにプレゼントをしよう!、と決断し、母へ伝えます。
「大人になったら、がんばってボクは必ずお金持ちなる。そしたら、お母さんにダイヤモンドを買ってあげるから。約束するから。」
すると母は、
「ありがとう。。。でも、ダイヤモンドより黒真珠が欲しいわ!大きな黒真珠を買ってちょうだい!」
「わかった!大きな黒真珠を買ってあげるよ!」
その時、母はとても嬉しそうに笑ってくれました。
私の人生で、一番最初の母の日のプレゼントは、この時の母の笑顔です。
【最終話/世界の中心で母へ叫ぶ】
私は母へ、もうひとつ人生で最高のプレゼントを贈っています。
そのプレゼントを贈っていることに気がついたのは、結婚し家庭を持ってからでした。
私には二人の子供がいますが、その二人へ望んでいることは、ただひとつだけです。
真っ直ぐに育って欲しい。
勉強できなくても構わない。わんぱくでも構わない。ただ、真っ直ぐにさえ育ってくれれば、それだけで良い。それ以上の親孝行は無い。絶対に無い。
だから、私は胸を張って叫びたい、
「オレは立派な親孝行ができた!」
と。
改めて思い返すと、ひっぱたかれた思い出ばかりが蘇るけど、でも、母よ、、
あなたの育て方は間違っていなかった!
オレは真っ直ぐな人間になれた!
だから、もう、、なにも心配することはない、、。
ゆっくりと眠ってくれ。。
ただ、黒真珠の約束を守らなかったことだけは悔やまれる。忘れていたわけじゃないんだ。お金持ちにはなれなかったけど、お金が無いわけでもない。
ただ、照れくさくてできなかった。ごめん。
来週の初盆には、ちゃんと墓参り行って、きれいに墓洗って、もう一度ちゃんと謝るから。
それで、勘弁してくれ。
《完》