八木

シェイプ・オブ・ウォーターの八木のレビュー・感想・評価

4.6
 「美女と野獣へのアンサーみたいな映画だな」と思ったら、撮った人も近いことインタビューで言ってるらしくて納得した。
 冒頭に美しい音楽と水中の映像を流したと思ったら、その音楽のまま「掛け値無く美しい」とも「若い」とも言えない女性が、朝のシャワー序でにルーティンとしてマスターベーションをする場面が映し出されて「その人の自然な姿というものには、どのようなものが含まれるか」をまず落ち着いて説明してきた。なので僕は構えをもう少し上げることになりました。そして出てきた人魚が、いわゆる人魚とは程遠く、容易に愛せないルックスをしていることからも、観客に対しては、まず現れる現象に対して、経験則でほどよく処理しようとする人間の生理を揺さぶる目的があるように思いました。
 すべて見終わって、タイトルの「シェイプ・オブ・ウォーター」の意味を少し考えていると、冒頭から最後まで何度も、水の中で何かが浮かぶ映像が出てくることから、『形のない水に何かを沈めたとき、初めてそこに水の形(であり、その何かの形)が現れる』という示唆によって、やはり「その人の自然な姿」がキーだったんだなと勝手に納得しながら帰りました。
 つまり、「あなたはあなたのまま生きるか」という問いかけを、一つの愛の形によってシンプルに作り出しているような気がします。
 主人公のイライザは、言葉を話せない、美しくもない、若くもないというベースがあった上で、それでもこの社会で自分の在り方を見つけて、友人を見つけ、住処を見つけ、仕事を見つけ、自分に合ったルーティンを見つけてきてたわけですね。それでも何か足りないところを人魚に初めて見つけて、自分から怖がりつつも迷うことなく大胆な行動に出るわけです。それは、イライザにとって自分の自然な形を映し出す水として人魚を見たという風に取れました。人魚のルックスって、見た目に「うえー」となる不気味さがあるんですけど、僕はこれって飽くまで映画としてのエンタメ要素が強いような気がしてて、この話の場合だと、お互いがお互いの自然な形を求めて、自分自身を確認しう行動や、確認し合えるという幸せな状況を作り出すことに感動の仕掛けがあると思いました。実際、彼らが惹かれ合い、惹かれ合っていくのって、「自然な姿で生きる」「自然な姿を迎え入れられる」という、この社会で実現しにくい夢のような状況をかなえた二人を祝福する気持ちになって、泣いてしまうんですよ。僕は少なくともそうでした。彼らが通じ合って求め合ってることに「良かったなあ、本当に」って思うんです。
 そして、この映画を見る多数の人間にとって自分を映し出す鏡としてマイケル・シャノン演じるラボ所長のストリックランドがいます。キャデラック破損や軍時代の上司とのやりとりに象徴的ですね。だから僕は正直、ストリックランドこそ報われてほしい気持ちがあった。「これは俺の本当の姿じゃない」と苦悩する姿に、お前は間違えたんじゃない、仕方がなかったんだ、誰も悪くないんだと言ってあげたかった。「まともな人間」とは、その人がただ生きているだけでは許されないのが、大体の社会なわけですし。でも、時々はそういう社会的であることに叫びながら足蹴して回りたい気持ちにはなりますわな。
 この映画では、主要登場人物が「ありのままで生きようとして、それをどのようにみられているか」という部分がしっかり描かれています。その人がその人のままで生きようとする姿は、社会的な成功とは別に、美しいと感じさせてもらえる映画だと思いました。とても面白かったです。
八木

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