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シェイプ・オブ・ウォーターのohassyのレビュー・感想・評価

3.5
「なんて感想が述べにくい映画だろう」

いろんな切り口で書き出しては消しての繰り返しを数日続けているので、もうあまり考えないことにしよう。

パッと見で作り物だと訴えてくるセット(ただしすごく豪華)で、作り込まれた(ステレオタイプな)キャラクターが、ものすごく単純で分かりやすいストーリーを生きる。
ストーリーも平板でテーマも一方的なものだけれど、怪獣ものであることと冷戦という大きな器の中で語られることで、映画として成立させている。

この手の映画はいわば個人的な絵本のようなもので、作家の持つ価値観を強烈に伝えてくる。
タイミングによるところも大きいとはいえ、それが評価をされてのアカデミー賞だったわけだ。
映画でここまで思いをストレートに昇華させられることも、そうはないだろう。

なるほど。
とても個人的な作品なのだ。

だから、しのごの語ることが難しかったのか。
個人的な想い対して評論できることはない。

昔話に登場する鬼や悪魔のように悪者が純粋悪にまで昇華されていたのならば、それを物語として認識しメタファーとして処理することもできる。
しかし比喩表現として昇華しきっているのは怪獣のみで、悪者とされるキャラクターは純粋悪とまでは言いがたく、ともすれば実在する誰かをモデルにしているかのような人物(誇張はあるにせよ)。
時々頷くことで聞いていることを意思表示しながら、ただ静かに「訴えを聞いた」って感じなんだろう。
あまりに一方的な主張を映画として体験したことに、僕は少しやられてしまったようだ。

とはいえこういう主張を体験することは、なくてはならないことでもある。
強者の象徴として存在する警備責任者のストリックランドが言ったように、サリーホーキンス演じるイライザにはえも言われぬ性的な魅力があった。
それを敏感に察知し、彼女を力で征服できると疑うことすらしないストリックランドの行動は、この映画の中でなければ至極まっとうなことに感じられてしまうかもしれない。
実生活の中で看過してしまったり、知らぬ間に自身がそのものになっていたりすることが、あるかもしれない。

世の中で当たり前とされていること、自分にとって正しいと思っていることが、他の誰かにとって正しいとは限らない。
それらを何の疑いもなく受け入れることで、気がつかないうちに必要以上に強気になってしまい、正義(と思い込んでいるものを)振りかざす。
そういう怖さは、いつだってある。
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