神戸典

シェイプ・オブ・ウォーターの神戸典のネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

孤児で言葉を発することのできないイライザはアメリカの研究所で清掃員として働いていた。毎日同じ時間に起き、同じものを食べ、出社しては同じ掃除をしていた。

そんなある日、南米の湖から未知の生物が連れてこられた。
それは半魚人で、研究所の上のものは実験体を力で従えようとした、そして使えないとなると殺して解剖することにした。

イライザはその未知の生物に惹かれていく。半魚人は、意思の疎通ができた。
イライザの手話を理解し、少しずつ2人は心を通わせていく。
優しい旋律の中で2人だけの世界が展開される。

半魚人を研究所から逃がしたイライザだったが、後を追ってきた研究所の男によって共に銃弾を浴びる。
イライザは半魚人に抱えられ海の中で口づけを交わすと傷後はエラとなり、水中という二人だけの世界へと消えていく。

この作品は、人間の愚かさや恐ろしさを表現している。
言葉を失い、孤児であるイライザや同棲する仕事を失い絵を売ろうとするジャイルズはこの世界では弱者的存在として扱われる。
「孤独」に行きなければいけない現実にある。そんな2人と半魚人は似た者同士であり、人間であることと人間ではないことなんていう概念はなんら関係ないと伝えている。
そして、人間は未知の生物に対して恐怖を抱くが、人間こそ恐ろしい存在であると考えさせられる。
2人を追うストリックランドの姿から、
自分にとって未知なるものを受け入れることを拒み、力によってそれを支配する。
くだらない身分や世間体といった見た目の部分に囚われ、大切な心を失っている。事がわかる。

果たして恐ろしいのは人間か半魚人か。
今の自分の判断基準や人間という存在をも考え直す切り口になるような作品に仕上がっている。
口を聞けないイライザを演じたサリー・ホーキンスのミステリアスでいて、愛に溺れる演技とその表情が素晴らしかった。
後半に、半魚人への想いを口に出してミュージカル風に歌う姿は、イライザの心の中に湧き出るどうしようもなく伝えたい愛をうまく表現としている。

『シェイプオブウォーター』とは、単なる水の形という意味ではなく
半魚人という未知なる存在。人間にとって理解を超えた存在(目に見えない存在)にも人間と同じく宿ったイライザを愛する温もりやそばにいるという感情はイライザにとって紛れもなくそこにあったということを言いたいのではないだろうか。
同じ人間から偏見の目で見られてきたイライザにとって、素直にありのままを受け入れてくれる半魚人の温もりがなによりも嬉しく、求めていたものであることを表している。

そして、私たち人間は一度立ち止まって改めて自分にとって大切なことが何であるかを考える必要があるのかもしれない。
地位や名誉、世間体や目に見えるものでなく
他の存在を知ろうとする姿勢や受け入れる真心。それらを捨ててはならないとこの作品は語っているように感じた。
神戸典

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