マクガフィン

悪と仮面のルールのマクガフィンのレビュー・感想・評価

悪と仮面のルール(2017年製作の映画)
2.7
実父から悪に染まるように育てられた男が、壮絶な運命に翻弄されながらも愛を貫く模様を描く物語。原作未読。

財閥・久喜家の邪の家系で「邪」と呼ばれる純粋悪となるために生まれ育てられた久喜文宏(玉木宏)が好きになった久喜家の養女・香織(新木優子)を守るために父親を殺め香織に危機が訪れる度に殺人を重ねていく。

文宏にとって香織は一筋の光だが、文宏の拭いきれない心の闇の「邪」が香織に危害を加えることより、遠ざけて見守ることを選択する闇の光の対象や、香織への歪んだ狂気の中のブレない究極の愛が「邪」と愛の対象でもある構成や、人間の内面や根底の善悪や絶対悪という、哲学的な重く難しいテーマは好みだが、キャラ設定と世界観の構築にデリカシーを欠き、更に説明セリフやご都合主義なプロットに説得力や感動が伝わらないのが残念で根幹が揺らだ所以は、仮面の上の構築が失敗した原因に。文宏の経済力はどこからきているのか。

また、映像的感覚が乏しいことで完全な消化不良に。タイトルに大負けで、人の倫理の社会的や道徳的な観念を想像させる思考の深さが足りなく、仮面の上の悪や愛が強ければ強いほど仮面の下が効果的になるのだが、両方宙ぶらりんに。

連ドラの総集編という感じに近いというか、原作を読んだことを前提として作られている感じか。これでは軍需産業やテロが絡む政治批判の問題定義が残念ながら響かない。作品にマッチしないこれらの批判は原作にもあるのか疑問に。

玉木の一貫して眉間に皺を寄せるようなこわばった表情が、香織との再会できょどりまくる二面性は、ユーモアを全く挟まない構成のコントのようなアクセントに。
人間臭くなるのが救いだが、無欲で他人の幸福を希求する香織が、それと反するように玉木の「邪」を濃くしていくトリガーの因果関係は切ない。

圧倒的な絶望の中の僅かな希望の光を上手く描写できないことが残念だが、決してうまくはないが、人は善意や愛が根幹にある場合の暴力性、生きること、人間の枠、人を損なう有無、殺人の対象、罪や悪の重みとその背負いなどの、相反する悪・愛・死を絡めるプロットは考えさせられる。

なかでも良かったことは、会話でのアップが多いのだが、役者たちが容姿端麗で、大きなスクリーンでも余裕で耐えられる側面は映画にとって重要なことを再確認。

近日上映の「サニー/32」はその問題をクリアできるか心配。