ベルサイユ製麺

彼女の人生は間違いじゃないのベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

2.5
奇妙なタイトルでは有る…。部分肯定みたいな?
『彼女の人生は間違っているか?』では無いのね。一緒に答え合わせしようとでも言うのかしら?例えば、『彼女の人生は間違っている、というキミは間違っている』?
最近やたらと目につく気がする(だけかもだが)、観念的なタイトルの邦画たち。それらを鑑賞する時、自分はいつも宿題と向かい合うような気分になってしまいます。
自分がどう感じるか?は当たり前として、監督はどう感じさせたかったのか?の方を読み取りたい。別に共感なんて出来なくても良いから、どんな気持ちにさせたかったのか知りたい。
例によって予備知識ゼロ。永遠のゼロ=妄言上等、無知の無知であるよ。

ファーストカット、まるで『ミスト』のラストシークエンスみたいに、靄のかかった枯れ木の並木道を一転透視で見通すと、向こうから白いバンが走ってきて、ゆっくり止まる。中から白い、防護服の男達が降りてきて、路面を掃除し始めた。除染?なのかな。どうもそういうお話みたいです。
仮設住宅に住む父と娘。主人公みゆきは市役所勤務。物静か。父は元漁師で、今は仕事が無く、給付金でパチンコに明け暮れる。かといって悪い人な訳でもない。母は津波にさらわれてしまった…。みゆきは週末、英会話スクールに行くと偽り上京してデリヘルのバイトをしている。スカウトされたのをきっかけに。
これと言って派手な出来事とかは起こらないです。震災以降の被災地の人々が体験する小さな日常の出来事と、それに対するリアクション、その繰り返しが波のように寄せては返し、そのまま最後まで行く。“それでも終わらない”日常を描いているのだろうから、こっちが気持ちの落とし所を見つけねばならない。あー、いや、だからこのタイトルなのかな?

まあ、正直よく分からない映画です。表面的には、ダルデンヌ兄弟に飽和量を超える添加物を混ぜ込んだみたい。
普遍的な真実を伝えたいなら広く観られるべきだろうから、あんなにネチッこく、ボカシまでかけてセックス描写を入れるべきでは無いだろう。狭く深く刺さるべきなのなら踏み込み不足は否めない。個人的には、主人公のみならず全ての登場人物の、痛みも、悲しみも葛藤もどうにも伝わってきませんでした。(一応書いておきますが、私にもかつて南相馬で暮らしていた親戚がおりまして、津波で亡くなった者もおります。当時の様子を聞くにつけ、亡くなった者との距離感によって悲しみの大きさには少なからず幅が有り、また大きな悲しみを感じている者を目の当たりにすると、一次的な悲しみは半減してしまうものなのだなぁと感じました。私は専ら、悲しんでいる者を見て、悲しんでいる者を見てて悲しかった。)
キャラクターは皆、実在感が希薄で、“そういう体のお芝居をしている”ようにしか見えません。柄本時生さんの頑張りも、却って演技のテンションの違いを際立たせ逆効果にすら思えました。
台詞回しが、おそらく“さりげなく説明を織り込む”ように心がけているのでしょうが、「ああ、さりげなさを装って説明をしているな」と見えてしまう…。
多用される長回しシーンは本来であれば“緩”と“急”をつけられれば効果的なのでしょうが、演出にメリハリが無いため“緩”と“強い緩”に感じられ、眠気を誘う結果に。

…などと書き連ねた事柄は概ね“好みの問題”である事は認識しています。監督にとっては全てベストのバランスなのでしょう。ただ一点、好み、感じ方の違いで片付け難い事があります。
…被災というバックグラウンドを除けばほぼ普通と思えるみゆきの生活に於いて、もし何か“間違っている”要素があるのだとしたら、まさかとは思うがデリヘルで働いている事を指しているんじゃないだろうな⁈仮にそうだとすると、この製作者はセックスワークに従事する事を誤った行為だと言っているようなものだと感じられて、だとするとそんな倫理観は到底許容出来無い。誰が間違ってるって⁇
職業に貴賎なしとは言いますが、個人的には労働の尊さには明確に敬意を払うべき序列が有り、上位から
①やりたくない仕事で、条件に恵まれていない
②やりたくない仕事だが、条件に恵まれている
③やりたい仕事で、条件に恵まれていない
④やりたい仕事で、条件に恵まれている
※医療・福祉従事者など例外有り。
例えば、メジャーリーガーなどは労働者としてみれば全く敬意を払う必要が無い
…と考えております。廣木監督はどこなのだろう。どういう立場なら、人の人生の正誤なんて決められるのだろう。


…とにかくやたらに腹が立ってしまったなぁ。勿論単なる思い過ごしで、勝手に怒ってるだけかもしれないけど。そもそもこんなタイトルじゃなければ、普通に通り過ぎていった作品なのだろうに。
廣木監督、実は初めて観ました。フィルモを確認すると“観ててもおかしく無いのに観なかった作品”がザクザクです。何か、匂いの様なものを嗅ぎ分けていたのだろうか?
少女漫画原作では廣木監督作は安定した出来栄えである、という様な記述を目にした事が有り、ちょっと妙な期待をしてしまっていましたが、実際は少女漫画原作物に限って…なのかもしれない。或いは、少女漫画原作物ばかり撮っているうちに…なのかも。まあどちらにせよ、何となくもう観ない気がします。怒るの疲れるもん。きっとこの人の映画は間違ってないんでしょ。