山口康成

あゝ、荒野 後篇の山口康成のネタバレレビュー・内容・結末

あゝ、荒野 後篇(2017年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

denkikanにて。

上映終了後にスッと立てなかった。映画にシビれたのはもちろんのコト,後半何分間は分からないが体が固まった状態で見続けてたっぽく立ち上がろうとすると実際に痺れたw それくらい後半の惹きつけ方がハンパない。

いろんなレビュー見たけど、人それぞれ違った解釈が多くて、監督の観た者に委ねる感が炸裂している作品なんだなと思う。

映画見ていて一番違和感を感じた最後の死亡診断書。名前を書いてる場面が終わる。その途中までの名前であの人はやっぱり死んだんだーと思ったけど、そのためにそのシーンいるか?と疑問ももった。
その後公式サイトを見ると、とある人物に同じ読み方だけど違う漢字を使ってる事が分かった。これこそどっちともとれる演出。二つのストーリーをイメージすると最後の新次の目線も誰を見てるのかや何を見てるのかなどいろんなストーリーが目に浮かぶ。

サブストーリーのデモ行進(からのテロ?)や震災,低所得者問題といった"クソッタレな世界"に抗う人々。
主人公たちも生い立ちから"クソッタレな世界"に立っている。
大きかれ小さかれみんなこの"クソッタレの世界"に生きている。
それに対してどのように抗うかが本編とサブストーリーの見事にリンクしているようにみえた。
繋がりでも憎しみでもデモでも忘れるってコトでも、すべて抗うってコト。
"抗う"って言葉も本編の冒頭、競馬場で片目の言葉としてでてくる。物語冒頭でお話しをきっちり導いてくれている、非常に優しい話運び。

憎しみだけでボクシングをやっていた新次も、バリカン戦では憎しみではなく、バリカンとの繋がりを欲して闘っていたのかなと感じた。バリカンとというより誰かとの繋がりを。
芳子と肉体的に繋がりを持たなかった日に、彼女との繋がりは無くなる。
"アイツは俺と繋がりたがっている"と言って試合に臨むが、ホントは自分に対しての言葉だったんじゃないだろうか。
彼の母親の"ぶっ殺せー"という応援は、結局この母と子は繋がりを持てないという闇の表現だと感じた。

なぜこの映画に感動したのかは、新次の"抗い"の中から、憎しみだけで闘っていた感情から新たに繋がりを持ちたいという"感情の豊かさの増幅"にだと思う。

人の新たな感情が生まれる瞬間ほど感動的なものはない。
私の大好きな映画"ロッキー"に然り"グラントリノ"に然りだ。

この瞬間に全てが動き出すよう、まだ先を見たくなる、彼らとまた会いたいとおもわされる朱玉の作品でした。
山口康成

山口康成