マクガフィン

あゝ、荒野 後篇のマクガフィンのレビュー・感想・評価

あゝ、荒野 後篇(2017年製作の映画)
3.0
社会に見捨てられた2人の男がボクシングを通じて出会い、孤独と闘い、自身の存在価値を見いだすためにボクシングに打ち込むさまを描く物語。原作未読。DVD鑑賞。

後編は、一転してボクシングがメインになり、リングで対峙するボクサーの範疇に収まる物語に。前編からの群像ドラマに参加した人達の殆どが収拾できなく、戦う理由とそれまでの盛り上がり方が希薄で繋がらなく物語として破綻している。建二を虐待する父親についての収拾は最低限のことに思えるのだが。

苦楽を共にした同志が魂をぶつけあうかのような拳がぶつかり合う凄絶な試合シーンは切なく、主演2人の熱量や痛みがビシビシ伝わる演技は秀逸で、接近したカメラアングルで押し通す映像の躍動感と臨場感が素晴らくボクシング技術の至らなさをカバーするのだが、前後編の2部作の悪い所がでて突っ込みどころ満載で役者陣の熱演で脚本や演出カバーする近代邦画アルアル作品に。

『レイジング・ブル』よりおなじみなボクシング映画系統の醍醐味である入場シーンのカッコ良さはこの作品では皆無で、カット割りの多い入場シーンは、キャラの描写を掘り下げていない人の表情を捉えたりして意味不明に(試合中にも多い)。何故1カットで撮影しなかったのだろうか。
更に前半からの因縁の対決の入場シーンは全てカットしていることに理解できない。

試合でもガードもできない状態でワンサイドで数十発打たれまくったのにストップしない審判はありえなく、職務怠慢どころではない職務放棄レベル。ボクシングはストップするタイミングが年々少しずつ早くなっている傾向を知らないのだろうか。リアリティラインが小説よりなことが見ていて辛い。

何かを題材にするならそのことについて徹底的な下調べが必要だが、それが全く感じられないく、ボクシング映画なのに監督がボクシングについて半可通過ぎる。ボクシング映画や漫画を見ていないレベルなことは、主演2人がはい上がろうとあがく姿以上に悲しく、題材が面白いことと役者の熱量が素晴らしいために余計に残念な作品に。

血やセックスやテロを描写するのはよいのだが、どう描くかが重要で、見ている人にそれやそれ以外の荒野的な空虚感や虚無感を想像させる思考の深さが足りなく、デリカシーが欠け説得力が得られない。テロ・デモ・自殺サークルや父・母の描写を無くせば150分に集約できたのでは。