きえ

あゝ、荒野 後篇のきえのレビュー・感想・評価

あゝ、荒野 後篇(2017年製作の映画)
4.1
前編は新次と建二がボクサー人生を歩み始めたところで終わり、後編はいよいよリングに舞台を移しボクシング映画の醍醐味を存分に見せながらそれぞれが己の人生に対峙していく。

大都会の底辺でもがきながら生きる泥臭き人間を描いた最終章は、血と汗と愛と憎しみが交錯する2つの試合が軸となる。

新次は仲間を裏切り兄貴分に障害を負わせた裕二への仇討ちを、建二は主体性なく従うばかりだった新次からの自立を賭けた戦いに挑む。新次にとってもそれは宿命とも言える大事な戦いだった…

同じ釜の飯を食い、共に励まし合い、共に強くなる事を夢見た2人の対決は、芝居だと分かっていても全身に力が入る。手に汗握る。迸る血飛沫、殴られて変貌していく顔… 前編から5時間近く見続けて来た彼等には身内の様な感覚になっているだけに1発1発に感情が反応してしまう。ボクシングの事はよく分からないけど私にとっては十分過ぎるくらいリアルだった。(後日談として…顔以外の部位には本当に当てていたそうだ。その為に半年掛けてトレーニングをし筋肉を整えてたと言うから凄いな)

何故彼等がボクシングに引かれたのか、のめり込めたのか…そこにあったのは紛れもなく憎しみの感情。自分を捨てた母親への、自分を裏切った仲間への… 自分を日本へ連れて来て挙句暴力で支配して来た父親への… 。

憎しみをエネルギーに変え、憎しみの対象を遥かに超える強さを、同時に荒野を生き抜く強さを手に入れたいと一心不乱にボクシングに打ち込む姿は、そうでもしないと煌びやかな大都会に押し潰されてしまいそうな不安の裏返しにも見える。先の見えなさ、拠り所のなさを吹き飛ばすには生きる実感=痛みさえ必要なのではないかと2人を見てると思えてくる。

彼等と共に"打ち込む魂"を共有したユースケ・サンタマリアさん演じるジムのトレーナーも、でんでん演じる鬼コーチも、途中から建二を引き抜き面倒を見る別ジムのオーナー(ゲイ?だよね)も、その更に周囲にいるケアホーム社長も、新次の母も、芳子も、新次が慕っていた兄貴も、裕二も、そして自殺サークルの面々も、街でデモを繰り広げる若者も…みんなみんな心に荒野を抱え、打ち込む物や人やその感情によって生なる実感を得ていたように思う。

生なる実感即ち、寺山修司さんの描く荒野には生と死が常にセットで存在する。死を身近に意識する事なくして生の実感は得られないのではないのか。その意味でこの作品にはボクシングが必然だったと思える。

この辺りからは鑑賞前の方は多少ご注意を…



死をも恐れないリング上の狂気は、相手を憎んで憎んで憎む…それ以上にぶっ殺すぐらいの殺気から生まれる。憎しみのみに突き動かされる新次と憎しみと言う一線を超えようと自身と闘う建二が対照的に描かれている。憎む心に隙が出来れば、感情が蘇れば致命傷となるリングの世界。にも関わらずそこで生きると決めた男達。何とも切なく目頭が熱くなった。

とにかくラストは壮絶な試合だった。2人の熱量にリング下で見守る出演者達も圧倒されてしまったかの様な芝居とも素とも分からぬ表情が印象的だった。

2人の対峙に関しては言う事はないけれど、それ以外の問題(新次と母親、建二と父親、特に芳子と母親、そして新次と芳子…)については宙ぶらりん感が残ってしまった。描き切る配分が無くなったのか意図した通りだったのかはさて置き、前編がとても丁寧で良かっただけにちょっと残念。

みっちり描く事なく感じ取れって事だけど、結局、新次も建二も芳子も囚われていた親への感情に一線を引き、新しい人生の一線を越えたと言う流れは下手な綺麗事がなくて良かったと思う(そこが寺山修司なのだろう)、反面、赦しと言う名の希望がちょこっとあっても良かったかなと思う自分もいる。

そしてラスト…
息子・建二と父・建夫
名前問題発生‼︎
まさかの落とし込みだった(笑)

前後編合わせて5時間。
凄い熱量の力作でした。
きえ

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