晴れない空の降らない雨

アナと雪の女王2の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

アナと雪の女王2(2019年製作の映画)
5.0
 初見と2回目で印象がガラリと変わって戸惑った。最初は正直、森に入ってから脚本が迷走を始めたようにしか見えなかった。否定しさるにはあまりに惜しい何かを感じてはいたものの、行き当たりばったりで取っ散らかった脚本は擁護したくてもできないという感想をもった。ところが、それからひと月近く間を置いて再見すると、作品のテンポに体を合わせることは容易であり、元の否定的印象は不思議なくらい塗り替えられてしまった。
 もっとも、控えめに言って駆け足だという印象は変わらない。実写映画より短い時間に、各人に用意されたミュージカルシーン、新しい舞台、登場人物そして精霊たちを押し込めたことで、やや強引で歪な箇所が見られることは否めない。誰もが感じたことだろうが、本作はもはや子ども向けであることを完全に放棄しており、であるならば、ふさわしい上映時間を使うべきだったと思われる。もちろん現実的にそれは難しいのだろうが。
 しかし、前作のhappy ever afterのその後として何を取り上げるかという選択は正しいものと思えたし、その点に関しては、申し分ない出来映えでやり遂げたと思う。セリフや歌詞も無駄がなく、全体にとって何らかの意味をもつように練り上げられている。(ただ、これを窮屈と感じる人もいるかもしれない。)
 『アナと雪の女王2』は、少しだけ1990年代の『ポカホンタス』や『ノートルダムの鐘』を思い出させるところがある。スタッフの創造的野心は、ふたたび商業アニメーションの枠組みに抵触しつつあるようだ。
 
 
■扉、道
 
 前作を貫いていた「扉」のモチーフは「道」に置き換えられている。いや、というより発展している。今作でもモチーフとしての「扉」は複数箇所で出てくる。例えば、最初のアナとオラフの会話に出てくる(「門」だが)。ここでは、門が開くという前作ラストから幸福な日々が変わらず続いていることが示される。しかし、直後の《Some Things Never Change》が皮肉な効果を作品にもたらしているように、この台詞も不十分だということが後々分かる。
 「道」については、前作の「扉」ほどではないにせよ分かりやすいだろう。さらに指摘する価値がありそうなのは、まずアートハランが川は川でも「氷河」だったという事実だ。これには二重の意味があり、第一にエルサとの親近性を示す。第二に、氷河=渡れる=道という風に、これもまた一種の「道」である。本作における「道」の終着点がアートハランとなる。そこでエルサは“Open your door”と歌う。扉の先には道があり、道の先にはまた扉がある、というわけだ。
 次に、「橋」がある。もちろんこれも「道」の一種だが、やはり二重化されており、じつは「ダム」の反対物としての意味もある。「ダム」も「橋」の機能を果たすが、これは偽物である。なぜならそれは、川=記憶をせき止めるからだ。
 冒頭のアナの台詞に戻ると、前作ではアレンデールの門戸が開かれたが、それではまだ不十分で、向こうの扉も開かれないといけない、というのが今作のストーリーとなる。国家・民族間の不信と対立や歴史修正主義、自然破壊といった現代的メッセージの自然な盛り込み方も優れているが、とりわけ本作はヴィランの扱いについて冴えた解答を見せていると思う。1作目では雰囲気づくりに過ぎなかった《Vuelie》の意義の発展のさせ方も見事だ。
 本作は、国と国の物語として展開しながら、個人と個人の物語として完結する。2作を通したストーリーの全体は、そのまま、文字どおりピッタリとエルサのアイデンティティをめぐる物語と重なっている。エルサの物語として見ると、じつは扉は同じひとつの扉である。《Show Yourself》の歌詞のIとYouは、ともにエルサを指している。
 
 
■暗闇、透明
 
 前作から続けて本作を観れば、誰でも画面全体から技術の進歩を感じ取るはずだ。背景は明らかにディテールが増しており、漆黒の中にさまざまな強弱と色彩の光が踊り、いくつかのシーンでは以前に観られなかったようなアクションが見られる。本作でもなおマーク・ヘンの名前がDrawover Leadなる役職で単独クレジットされていたが、今回も作画のアドバイス役という感じだろうか。
 本作の審美的・修辞的な選択はなかなか興味深い。何といっても、エルサのために用意された《Into the Unknown》と《Show Yourself》には驚かされた。そもそも曲が前作に比べて全然キャッチーでない。映像も視認上の快適性をある程度犠牲にしつつ、何か観たことのないものを見せようと努めている。《Show Yourself》の中で第五の精霊の正体をエルサが悟るとき、わざわざ言葉で示さないのが印象的だった。ほか、アートハランの水底の背景美術も3DCG化以降のディズニーにしてはかなり様式的だし、《Lost In the Woods》のような捻った笑いも珍しい。
 本作では暗闇が大きな役割を果たしている。《Into the Unknown》のエルサは暗闇に飛び込み、そこでたくさんの未知のイメージに出会う。絶望のなかでアナが歌う《The Next Right Thing》には闇という言葉が何度か登場する。つまり闇とは、2人が乗り越えるべき試練であり、実際、それを潜り抜けたあと2人は昨日とは違う存在になっている。
 精霊たちでは、やはり風と水が興味深い。やろうと思えば、例えば枯れ葉を生き物らしい造形にすることで風の精霊を実体化することはできたと思うし、そのほうがずっと分かりやすい。その策をあえて選ばず、不可視の存在にしたことが実験的で面白い。水の精霊についても、存在の曖昧さとしての輪郭と発光の表現具合が絶妙である。登場場面が夜の暗い場面であることも手伝って、最も神秘的な精霊として描き出すことに成功している。エルサが海を渡ろうと格闘するシーンも敢えて視認性のよくない見せ方をしたように思われる。
 
 
■秋、成熟
 
 秋という季節の選択は、視覚的にも主題的にも大正解である。とくに木々のデザインは、はっきりとアイヴィンド・アールの遺産が今日のディズニーにまで生きていることを伝えている。また、紅葉が画面に温かみをもたらし、空気感は暗めの寒色で表現されることで、マイケル・ジャイモらしいカラーをつくりつつ、前作のような鮮明さからグレー寄りの落ち着いた雰囲気を醸成する。
 主題とは、もちろん姉妹の成熟を描くこと、両者を独立したアイデンティティをもつ個人つまり「大人」として描くことである。実際のところ、本作のすべてが、この方向性に沿って設計されていると言える。その結果、本作自体が大人びた作風となり、子どもに理解されることを諦めているが、それどころか、前作同等の興収や名声にすら興味がないかのようだ。このことは、ミュージカル・ナンバーを比較すれば、幾分か事実ではないだろうか。作り手たちはただ単に、アナとエルサにふさわしいゴールへの道のりを辿らせたかったように見える。
 両者の成熟を最もよく示すのが衣装だ。パンフでも特集されていたらしいが、本作のさまざまな衣装は感動的である。全体が秋らしい落ち着いた色合いになっており、とくにアナとクリストフに顕著であり、アナの衣装は話が進むにつれ地味になる。旅の動きやすい服装は新鮮味がある。そして最終的に2人の衣装はシンプルの極地となり、その色は、仲良し姉妹から成熟・独立した個人へと変貌したことを象徴している。
 宣伝時の「なぜエルサに力は与えられたのか」という謳い文句も「そんなの誰が興味あんのよ」と甚だしく疑問だったが(今も微妙だと思うが)、ふたを開けてみれば、エルサの自分探しの物語として完璧といってよい結末だった。前作のあと一部の外野が狂気じみた口出しをしていたわけだが、この件に対してもスマートに対応してみせたと思う。