シゲーニョ

ボヘミアン・ラプソディのシゲーニョのレビュー・感想・評価

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
4.3
開巻いきなり20世紀FOXのファンファーレが、ブライアン・メイ新録のギター・オーケストレーションで鳴り響き、
「Somebody to Love(愛にすべてを)」のピアノのイントロにのってLIVE AID当日の朝が映し出される。
鏡の前で自慢の髭を整えるフレディ…ステージへと一歩一歩近づき、ウォーミングアップがてらに、いつもの伸びやかなジャンプをする。そしてスタッフが入口のカーテンを開けた瞬間…。

この時、劇場での自分の脳みそは1985年7月13日、LIVE AIDが行われたあの日にタイムスリップしていた。

LIVE AIDはアフリカ難民救済を目的に、英米のトップアーチストが参加した20世紀最大のチャリティーイベント。
日本ではフジテレビが夜の9時から翌日の正午まで、スタジオ&CMを挟みつつノンストップで生中継。
BS放送もCS放送も、ネット配信も無かった時代に、これほどまでの長時間OAされた海外の生中継番組など例外がなく、自分に限ってのことだが、一度もTVのスイッチをオフることなく衛星中継を見続けた経験は、不謹慎ながら他にはあの2001年9月11日ぐらいしか思いつかない。

クイーンの演奏は、主催者のボブ・ゲルドフが発言したように「他のアーティストを圧倒する、見事なライブパフォーマンス」であり、一緒にTVを観ていた友人が「Hammer to Fall」をノリノリで口ずさみながら「クイーン復活じゃん!!」と叫んだのを鮮明に覚えている。

あの時のステージを映画館で再体験している高揚感と共に、20歳過ぎの「甘くもあり苦くもあった青春時代の記憶」の断片が頭の中を駆け巡り、開巻してから僅か数分で…席に座る自分の頬を何度も涙が濡らしていた(笑)。

自分にとって、クイーンは特別な思い入れがあるバンドで、自分には歳の離れた姉がおり、クイーン(特にフレディ)の熱狂的ファンで、1975年の初来日を特集するクイーンが表紙を飾った「ミュージックライフ」「音楽専科」などの洋楽専門誌が自宅の至る所に散らかっていて、夕方から父親が帰宅するまでの間、毎日、ステレオやラジカセからクイーンの楽曲が、狭い我が家中に響き渡る状態…。

自分はこの時、小学5年生。まだ柔らかい思考を持っていたためか(笑)、まるで姉に洗脳されたかのようにクイーンにすっかりハマってしまったのである。
1979年4月、3度目となる来日公演には当時中三ながら、片道2時間半かけて武道館に駆けつけ、クイーンの生演奏を初堪能。武道館のアリーナ席に、学ランを着た中学生は自分以外、誰一人いなかったと思う(笑)。

すっかり前置きが長くなってしまったが、1975年あたりから約10年間、クイーンの思い出がギッシリ頭に詰まった自分にとって、本作「ボヘミアン・ラプソディ(18年)」は、やはり格別の思いがある作品となってしまう。

本作初見時、フレディのステージ衣装やロジャーのバスドラのプリントが、実際のツアーと整合性が取れていないとか、1981年頃のホームパーティでのフレディの王様ルックは、1986年のツアー衣装なので絶対にあり得ないとか、自称「うるさ型」ファンの自分には、物語上の時間軸と劇伴の楽曲リリース時期が合致しない事も併せ、気になる箇所が幾つも散見されたが、それらが物語の流れを停滞させているわけではない。

劇中、随所に流れる登場人物の内省にマッチした「選曲」のセンスには、逆に一本とられた感じで、その制作の過程や、歌詞、曲調はストーリー展開にスムーズに入っていける「仕掛け」となっている。

先ず、移動用ワゴンを売り払ったお金で、初めてのアルバムを制作中、「Seven Seas of Rhye(輝ける七つの海)」のコーラスパートをオーバー・ダブする場面があるが、この曲は1stアルバム「Queen(戦慄の王女/73年)」ではインストルメンタルのみで、実際にヴォーカルが録音されたのは2ndアルバム「Queen Ⅱ(74年)」。
かなり脚色されているが「Forever〜ever 〜ever〜ahh〜🎵」のコーラスを、左右に振って録音するアイデアをフレディが思いつくなど、天才フレディを中心に、バンドがスーパースターへの道を歩み始めたことを象徴するシーンとなっている。


次に1974年春からスタートした初の全米ツアーのモンタージュに流れる「Fat Bottomed Girls」。
これは7作目のアルバム「JAZZ(78年)」の収録曲で、やはり時代的に符合しないが、「バンドの奴らと一緒に、金網を、世界を跨いで歌った/碧眼美女もたくさん見てきた」の歌詞は、広いアメリカを周り、自分たちの認知を高めていく、その絵面にピッタリだ。


そして本作のメインタイトルにもなった、1975年夏にロックフィールドスタジオでレコーディングされた「Bohemian Rhapsody」。「ママ、僕、人を殺しちゃったんだ」という、ある男の衝撃的な告白から始まるミステリーな歌詞ながら、フレディの深層心理を写し出した内省的な曲と言われ、劇中では、フレディが自分の出自とセクシャリティを嘆くように「ママ…時々思ってしまうんだ、生まれてこなければ良かったって」の歌詞が強調される画作りになっている。

またロジャーが高音で叫ぶ「ガリレオ」のコーラスが何度も収録されるレコーディングや、EMIのプロデューサーの「3分以上の曲はヒットしない!」というダメ出しに対して一歩も引かない態度など、フレディとメンバーの「ROCKという音楽のジャンルを超越したい」「今までにない曲を世に送り出したい」という、ハンパない熱意を感じさせるエピソードが盛り込まれている。


極め付けは、「Somebody to Love」だろう。

開巻からフレディがLIVE AIDの会場に向かう一連のシーンで流れる歌詞「毎朝起きる度に少しずつ死んでいくみたいだ/自分の足でなんとか立っているけど/鏡で自分の姿を見ると泣いてしまうんだ/神様 あなたは一体僕に何をしたのですか」は、当時「神の教えに背いたことに対する天罰」とも言われたエイズに罹ったフレディを意味しているかのように思えるし、神への愛を失いかけたフレディがどんなに頑張っても他人に理解されない孤独な暮らしの中、「愛する人」「愛される自分」を見つけ出していく、これから描かれる本篇の展開を予兆させる表現にも思えてしまう。

そして終盤、ウェンブリーへ向かう道中、ジム・ハットンとの再会時に再び流れるラストのフレーズ「誰か僕に愛する人を見つけてくれないか!」で見事に円環を成し、フレディが「本当に愛する人」「愛される自分がやるべき事」を遂に見いだしたことを象徴しているように感じてしまった…。


本作「ボヘミアン・ラプソディ」公開中、ストーリーが史実と異なる点について、ブライアンが「ドキュメンタリーではないから、全ての出来事が順序立てて正確に描写されているわけではない。でも、主人公の内面は正確に描かれていると思う」と述べたように、十数年もの出来事を約2時間の映画で伝えるには、多くのことを凝縮させたり、シャッフルしなくてはならないだろうし、本作がバンドの歴史というよりも、そのリード・ヴォーカル、フレディ・マーキュリーの半生にスポットを当てた点を鑑みれば、ベストな演出法だっただろうし、フレディの人物像「ある種エキセントリックな天才パフォーマー」を巧みに描き込んだと感心する。

世間に対して背伸びしつつも、実は壊れやすいハートを持つ孤高の人フレディを演じたラミ・マレックの演技は、似てる似てないは別にして(笑)、ステージ上の堂々とした歌いぶりとは真逆に、人目を憚る時には「どんな人間になればいいのか」「どう人と接すればいいのか」思い悩む、複雑なパーソナリティを見事に演じ分け、アカデミー賞受賞当然と思えるものだし、ブライアン含めたメンバーや生涯の「友人」であるメアリーたちの台詞一つ一つが、本作の主題が実は「フレディの救済」であることを巧妙に浮き立たせている。

例えば、後にマネージャーとなるジョン・リードとの面談で、「君たちのバンドの特徴は?」と問われるシーン。
フレディが「俺たちは“はぐれ者”の集まりだ」と発言したのに対し、ブライアンは「個性はバラバラでも“家族”だ」と答える。その後、フレディがバンド解散を条件に黙って400万ドルのソロ・プロジェクトにサインした際、ブライアンは「俺たちは家族だ。(=だから解散はあり得ない)」と突っぱねたのに対し、フレディは「俺には家族なんていない」と吐き捨て、自分の孤独を分かち合うことが出来ないメンバーとの確執を更に大きく広げてしまう。

そんな孤立無縁状態にどっぷり浸かったフレディを救ったのが、メアリーの一言。
「あなたは怖がる必要はない…みんなに愛されている。バンドのみんなは家族。それで十分でしょ」。

またストーリーの流れが前後するが、パーティー三昧の生活に溺れ、孤独を深めるフレディに向けて、最後の恋人と知られるジム・ハットンの言葉「君には本当の友達と過ごすことが必要だ。本当の自分を取り戻すことができたら再会しよう」も、忘れることができない印象的な台詞である。


本作は「なりたい自分になること」と「本当の自分を知ること」を追い求めたフレディの物語であり、その思いが強過ぎるあまり、他人を傷つけ、延いては己も傷つき、混迷の淵に陥ったところを友人達に救われる物語でもある。

ブライアン、ロジャー、そしてジョンにとって、死してなおフレディは今でも「家族」なのであろう。
メアリーも、フレディの愛の告白の言葉「ステージ以外、君といる時だけが、なりたい自分になれるんだ」を一生忘れはしないだろう。

そして、自尊心が人一倍高く、特別な才能を持った完璧主義者だと思い込んでいたフレディが、バンドの再活動&LIVE AID参加をメンバーに嘆願する台詞、初めてメンバーに詫びる言葉「Please…(お願いだ)」は、この世に生まれた一己の人間、バンドで歌うことを夢見ていた青年、本名ファルーク・バルサラが、ようやく「自分の成すべき事」を理解したことを象徴する名シーンだと思う。
それが、LIVE AIDリハーサル時での決意表明、伝説となったライブパフォーマンスへと繋がっていく…。

「俺が何者かは俺が決める。
 俺が生まれた理由…それはパフォーマー。
 みんなに望むものを与える、最高の天国を与えるんだ!
 それがフレディ・マーキュリーなんだ」

この言葉を噛みしめて、本作のクライマックス、ウェンブリースタジアムでのフレディのパフォーマンスを観ると、熱狂するオーディエンス、演奏するメンバー、ステージ脇のメアリーとジム、照明係や警備員といったスタッフ…とにかく会場にいる全員が幸せそうに見えてしまう。

当然、自分も劇場での初見時は勿論、Blu-rayで何度鑑賞しても、実際のライブ映像とは異なる言いようのない「多幸感」を感じてしまうし、また冒頭で述べたように、楽しかった青春の残照も味わえる、非常に稀有で大事な作品、それが本作「ボヘミアン・ラプソディ」なのだ…。


最後に…

全ての曲ではないが、和訳の歌詞をテロップインさせ、我々日本人にも「物語に深く浸れる」ように誘導した、配給会社の仕事ぶりは、もっと高く評価されていいと思う。