回想シーンでご飯3杯いける

ボヘミアン・ラプソディの回想シーンでご飯3杯いけるのレビュー・感想・評価

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
2.0
実話映画の中で史実を脚色するのは良くある事で、例えば、19世紀に活躍した興行師、P・T・バーナムの半生を描いた「グレイテスト・ショーマン」などは盛大に脚色されている事が分かっていても、僕はレビューで高評価を付けた。それはバーナムを知る術が他に無いからだ。一方で本作の題材であるロックバンド、クイーンは今でも普通にCDやDVDが発売されていて、真実は全てそこに込められている。この状況で脚色を多数加えた再現映像である本作を評価する理由が僕には見当たらない。

特に、主人公であるフレディ・マーキュリーが、本作のハイライトとされるライブエイド出演前に自らのHIV感染を自覚し、メンバーに告白するというお涙頂戴の演出は、死の前日まで感染を公にしなかったフレディに対する冒涜だと思う。実際には、ライブエイドの時点ではフレディはHIVに感染しておらず、その後の数年間も活動のブランクは無い。精力的なパフォーマンスを繰り広げていた絶頂期であった事を強調しておきたい。

フレディのソロ活動に関する描写も全て事実と異なる。実際はフレディよりもブライアンとロジャーが先にソロ・アルバムを出しているし、ソロ活動がメンバー間に亀裂を生んだ事実もない。そもそもクイーンには、他の理由を含めて解散の危機そのものが存在しなかった。これらの脚色は、苦節から復活へと向かう感動を売りにしようとする制作陣による操作以外の何者でもない。また、改竄が演出としてさほど成功していないのも辛い。特に、フレディがハンカチに付いた血痰わ見てエイズ発症を自覚する描写のチープさは失笑ものである(大映ドラマか!)。

期待していたライブエイドのパフォーマンスシーンも、曲そのものは素晴らしいのだが、それは映画の力ではなく、あくまでクイーンが作った音楽の力である。映画的に見ると、ライブシーンの合間に挿入される演出がチープで、音楽を楽しむ事を妨げた。クイーンが演奏を始めると同時に寄付希望の電話が殺到するシーンが果たして必要だったろうか?そもそもライブエイド自体が、そこを前面に打ち出すようなイベントではなかったと記憶するのだが、、、。(ラストシーンはは'86年のウエンブリー辺りにした方が良かったと思う)

また、尺の関係で挿入曲を複数回使用する事を避けた結果なのだろうが、ライブエイドでの演奏曲の大半が、本編で扱われておらず、伏線の回収という意味でのカタルシスが皆無で、この演奏シーンだけが浮いているように思える。実際のパフォーマンスを完コピする事だけに執着したディレクションは、クイーンに対する愛情というよりも予算を掛けた物真似番組のようであり、正直に言えば気持ち悪さを感じてしまった。

総じて言えるのは、音楽をあまり知らない人が作った映画という印象だ。フレディに関する改竄は正に「死人に口無し」状態で、本作を監修しているブライアンとロジャーがこれにOKを出した事にも落胆する。

本作は世界中で大ヒットしているようだ。古い音楽への道標として本作が機能する事は良い事であるが、この成功をきっかけにビートルズ、ニルヴァーナ、デヴィッド・ボウイ、プリンスといった、伝説のミュージシャンを扱った感動の物真似ドラマが量産されない事を祈るばかりだ。

僕は事実が改竄された事を批判しているのではない。その改竄がフレディに対する冒涜である事、演出として成功していない事を批判している。そして繰り返すが、音楽をめぐる真実は全てCDやレコードに込められている。ミュージシャンが死んでもそれを通じて後世に伝えられるから、音楽は素晴らしいのだ。