来日公演の影響もあり、クイーンは欧米以上に日本で人気が高かったが、追っかけをしていた女子中高生達が、クイーンというバンド名には、女王陛下だけでなく、ゲイの女役の意味もあると知って、ショックを受けたというのは、昭和時代のあるあるだ。当時のそんなウブな女子達も、今や50代である。
「何故今更、クイーンなのか、相変わらず、映画界は発想力が乏しいな」と思ったが、自分が洋楽に目覚めたきっかけのバンドでもあるし、後日レンタルで観るよりは、劇場のサウンドで観るべきかと観賞した。
映画は、1985年のライヴエイド当日の様子から始まるが、時代は1970年代に飛ぶ。インド系イギリス人のファルーク(ラミ・マレック)は、空港で荷物整理をしているが、自分をフレディと呼び、厳格な父から咎められながらも、夜はライブハウスに行く。演奏していたスマイルというバンドを気に入り、終演後に探そうとして、メアリー(ルーシー・ボイントン)という美しい女性と出会う。女性との恋愛ストーリーが始まるのかと意外に思ったが、フレディ・マーキュリーはバイセクシャルだったと気付いた。
スマイルのギター、ブライアン・メイ(グウィリム・リー)とドラムのロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)は、もっと有望なバンドに行くと、ボーカリストに去られた所だったが、自分で書いた歌詞を渡し、その場で素晴らしい歌声を披露したフレディを迎え入れる。そしてベースのジョン・ディーコン(ジョゼフ・マゼロ)も加わり、新生スマイルとして活動を開始する。伝記映画で出演者が本人に似ているというだけで、褒めたくはないが、外見が非常に似ているだけでなく、人格も再構築された上で再現され、映画に説得力が生まれている。一年後、ライヴでの斬新なパフォーマンスで人気が出始めていたバンドは、フレディの発案で、バンド名をクイーンにする(フレディがベッドでメアリーに披露し、女王の意味だと告げるが、実際にはゲイの意味がある事から、メンバーが反対したのを、フレディが押し切ったと言われている)。
フレディの進言で、クイーンは車を売った金で、デビューアルバムとなるレコードを録音するが、メンバーとメリーを招いた実家での食事会で、父が、正式にフレディ・マーキュリーに改名した息子に、「違う誰かになろうとしても無駄だ」と言った後に、エルトン・ジョンのマネージャーである名プロデューサー、ジョン・リード(エイダン・ギレン)から、会いたいという電話がかかってくるのは、事実なら出来過ぎだろう。
「キラー・クイーン」のヒット以降、イギリスで人気となり、その後、世界的バンドになっていったのは周知だが、改めてクイーンはメジャーバンドとしては、非常に音楽的冒険を繰り返していた事を認識させられる。6分に及ぶオペラ調の「ボヘミアン・ラプソディ」が、ラジオでかかりにくいとレコード会社から反対される様子が詳細に描かれるが、80年代のディスコブームに乗った「地獄へ道づれ」も、今聴くと、かなりチャレンジングな楽曲だ。全員曲が書ける4人の個性がぶつかり合い、それが革新的且つキャッチーな、多彩な楽曲として表現されるのが、クイーンの魅力だったのだ。そしてなんと言っても、稀代のボーカリストでパフォーマーだった、フレディ・マーキュリーの才能に圧倒される。
X-メンシリーズのブライアン・シンガー監督とは言え、クイーンの映画に、ドラマとしての面白さや完成度を求めても仕方がないと思っていたが、実によく出来ている。父と息子の対立、妻となったメアリーの、フレディがバイセクシャルに目覚める事による葛藤、突出したスター性からフレディにソロデビューのオファーがあった際のバンド内の不協和音と、ドラマとしてのいくつかの基軸を持たせながら、知られていなかった事実を積み上げ、魅力的な物語が作り上げられている。1991年に亡くなったフレディが、1985年のライヴエイド当時には、エイズによる死を覚悟していたのは意外だった。
何故、ライヴエイドがクライマックスなのかとも思ったが、フレディのソロデビューで分裂寸前になり、更には音楽的にもパンクロックの出現により、時代遅れの恐竜になりかかっていた(この部分は描かれないが)クイーンの、栄光と再生の物語を描く上では、相応しいのだろう。善き行いをしろと言う父親への、フレディからの回答にもなっていた。
ウェンブリー・スタジアムのライヴは、事実を再現しているだけである。しかし、それまで丹念に描かれたドラマが集約されるために、有名な楽曲に新たな感動が加わり、ダイナミックな演出の効果もあり、奇跡的な映画としての飛躍が生まれていた。まさかクイーンの映画で、感涙するとは思わなかった。
とにかく、観ないでレヴューなど読んでも仕方がない、映画館で体感すべき作品だ。