八木

ボヘミアン・ラプソディの八木のレビュー・感想・評価

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
3.8
 映画館で見なさい(終わり)。

 クイーンの誕生から終末までを映画で、となるとさすがに駆け足感は否めないところです。僕はクイーンについて、代表曲いくつかとアルバムを2枚流し聴きした程度なもんですが、名声を得るまではなんだかよくわからなかったり、音楽的功績については「オペラとロックの掛け合わせ」を例の曲と一緒に記号的に触れる程度であったり、何となく見ていても十分楽しめるような作りであったと思います。
 映画は、フレディが富や名声を得ながらも、一人の人間として満たされない状態であることにどう説得力を持たせるかについて各種工夫をこらせておりまして、不思議なメアリーという女性のポジションや、フレディのセクシャリティ、民族的出自の説明に時間を割いています。あくまで、クイーンは、フレディにとって如何に人生で重要だったかを表すものであって、メインはフレディという人間の歴史と、「孤独についての耐えられなさ」について、また、そういう悲しみを携えて生きる人間のかき鳴らす音楽が最高にポップであったという強い事実であったと思います。
 「人を殺しちゃったよ」と突然歌いだす、映画タイトルにもなってる「ボヘミアン・ラプソディ」を初めて聴いたとき『なんちゅう曲すか』と思ったもんですが、またバンドメンバーで馬鹿みたいに重ねたコーラスパートが始まった時に『なんちゅう曲すか(2回目)』と思ったもんですが、映画はバンドの歴史を知らなかった僕に、音楽によって感動を発生させていました。
 ラストは美しきスポ根に落ち着いております。正直、複雑に合成して撮影したっぽいので、カットが多くてこじんまりしてしまってるように感じましたが、それでも、感動して聴いていられました。これは、レンタルを待つのでなくて、気になるのだったらとっとと映画館で見るべきじゃないのかと思ったので冒頭の一言となったわけでございます。

 細かいこと言えばね、主要メンバーの加齢感が薄すぎるとか、フレディの振舞いの変化について唐突な感じがするとか、バンドメンバーのフレンドシップは、特にこの映画についての結論に至るポイントなわりにちょっと密度が薄くて明らかな減点だとは思います。全然完璧じゃございません。フレディの苦悩をフォーカスしすぎてたと思う。
 ウィー・ウィル・ロック・ユー制作時にフレディが遅刻したくだりとか、アルバム制作のため陸の孤島に合宿した際揉めたくだりとか、『事実だったんだから仕方がない』って言われたらそれまでなんですけど、何かの前振りと思って構えていたら結局何も起こらないっていう、史実の羅列になりがちだった。その割に、前述のとおり、フレディとメンバーが相互に必要としているってところが強調されてなかったように思うのよな。
 でも、個人的に、エンドロールでは聴きたかったあの曲が流れて、わりとみっしり埋まってた映画館の座席で誰もその曲が終わるまで立たなかったこととか、嬉しくていかにも映画的な体験をいただけました。
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