ロッツォ國友

ボヘミアン・ラプソディのロッツォ國友のレビュー・感想・評価

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
3.7
We are the champions, my friends,
And we'll keep on fighting 'til the end
We are the champions
We are the champions


飛行機の荷物整理やってた馬の骨がタンクトップ姿で15億人を沸かせるお話!!!!


残念ながら、本作の主人公であるフレディは、俺が産まれた年には既に亡くなっていた。
…というのに、QueenのアルバムはiPhoneに入れているし、よく聴く。
しかもそれは"古い音楽も聴いてやろう"的な現代っ子じみたスタンスなどではなく、純粋に、Queenというオリジナリティを味わいたくて聴く。
彼らがどんな伝説だったか知らなくても、音楽は心に響く、届く。

そういう視点からレビューを書くとしましょう。



さて、本作は伝記映画というカテゴライズになるわけだが、映画の大画面や音響を通して伝わる迫力はハンパではないし、ただの演技を写したフィルムではなく、一つの作品としてスゴいものを見せてやろうという気迫を感じさせるような表現も多く、伝記というよりむしろ彼らの生き様をも"追体験できるライブビューイング"といった方が相応しいと思う。

まして今日でも、Queenの楽曲を挿入歌として使用する映画は非常に多い。
それもオシャレな表現としてだ。
Queenはもう居ないが、音楽はここにあり、生きている。

それをありのまま力強く伝えているのだから、これぞまさしく"LIVE"そのものではないだろうか?



まず本作は全体を通して、画面を素早く切り替えたり被写体との距離を大胆に動かす映像表現が多用されており、一貫して煽情的で熱のこもった映像が続くため中ダルみがない。
次から次へと流れる名曲の数々も、大音響でこそ聴くべきものだろう。


特に映像的楽しさが際立ったのが音楽を"創る"シーン。
音楽を構築する者、奏でる者、使い込まれたマイク、ギター、ドラム、音響装置のスイッチ、スピーカー…芸術を生み出す要素が次々映像に現れ躍動する見事なカット裁き。

そして彼らの過剰なまでの自信と天才的な感性、常に新しいことをやろうする創造性が共鳴し、次第に誰もが聴いたことのある名曲が形作られてゆく過程には一種の快感すら覚える。
またそれらが実際に会場を沸かすシーンを観ると、もうそれは観客としてではなく作り手としてその風景に向き合うことができ、この視点は映画ならではと言えよう。

本作、細部については事実と違うところが少なからずある!との指摘もあるので何もかもが完コピというわけではないようだが、それでも、伝記的な要素とエンターテイメント的な要素を切り分けずそのまま繋げて魅せた点には感銘を受ける。


もちろん彼らの通った道が平坦というわけではないので、そのまま語っても十分物語になりそうなところを、しっかりと起承転結を作り一つの作品として仕上げられており、おかけで何も知らない観客にも彼らの生き様を示し心を揺らす設計になっている。
説明過多になり過ぎず初見をも引き込む力と丁寧さが素晴らしい。


同時に、伝説となった彼らにしかない苦悩も描かれており、それが本作の凄みに大きく貢献している。

彼らにしかない悩み、彼にしかない痛み。

誰も手にできないような栄光を手にしたが故に、誰も立ち入れない孤独を体験することになった。
その辺について、ただ単に伝説的バンドの成り立ちの説明としてではなく、フレディという男の孤独にも焦点を当てるような描き方をしている為、より「1人の人間」として親しみ、感情移入できるようになっている。


また、彼らの生き様が歌詞にも深く影響していると思われるが、よって彼らの生い立ちを描くことは楽曲への理解にも大きく貢献するし、観る者の感情をより動かす要素として機能している。
だから映画を観れば聴きたくなるし、聴けば映画を思い出せるだろう。
伝記映画として十分過ぎるデザインじゃないでしょうかね?
文句無いっすわ。


自分が生まれる前に亡くなった歌手の話、という距離感ですらクライマックスは鳥肌が止まらなかったし、世代が被っていてもっと思い入れや思い出のある人ならもっと大きな快感があるだろう。


勉強になるしアツくなれるし、人によってはかつてを思い出すこともできる。
コミュニケーションのキッカケにも最適だ。
本当に見事な伝記映画、心揺さぶられました。
手軽に大音響で楽しめるうちに、一度は観に行くべき!!

Ayyyyyyy-Oh!
ロッツォ國友

ロッツォ國友