純

ボヘミアン・ラプソディの純のレビュー・感想・評価

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
4.7
深い孤独が叫ぶ"we"という愛がこだまして、時に切なさをも突き抜けていく。ひとつになるときの高揚って、気持ちいいだろうなあ。どれだけ空が高く見えるだろう。どんな景色が広がっているだろう。なりたい自分を俯瞰して見ているような気持ちになって、ああ自分はあの場所から一周してきたんだなと思う、その瞬間は一体何色をしているのかな。

大地を揺らすようなロックのすぐそばにあった、小さく震える心。涙を流す夜をいくつも越えて、今こんなにも眩しいステージに立っている。それを奇跡だなんて呼ばせやしない。すべてが必然で正しかったのかもしれないなんて言えてしまうくらい、彼らが自分たちで必然の未来を作り上げたその力が、類まれな熱量を世界に放ったということ。その哲学や後ろ姿が、今もわたしたちの世界で鼓動を鳴らしている。

圧倒的なエネルギーを浴びると、命を燃やす曲に心動かされないやつがいるのかよって足踏みしたくなるね。彼らが築き上げたものの大きさとそれまでの果てしない道のりも、二時間になんて決して収まりきれない。規格外な人生はいつだってはみ出して溢れていたけど、なんて逞しくて勇ましくて、格好良かったことだろう。あの声に応えるとき、会場の全員が彼と一対一の意思疎通をしていた。望むものがすべて集まったあの場所が、こんなにも懐かしく、今またこんなにも新しい。音楽が生きているのは、いつだって「今」だ。

一度、彼はひとりになれない心細さの向こう側にまで行ってしまった。自分を大切にしてくれないひとの手を握ってしまうほど、孤独でたまらなかったから。そんなとき彼を掬い上げて救ってくれた、愛でも友情でもあって、それよりもたったひとつの絆である特別なひとたちが、彼を見捨てなかったその意味があたたかい。心の底から孤独や死を怖がったことがないと、あんなに力強くて熱い声は轟かないよ。誰よりも寂しくて泣きたくて崩れ落ちた歴史が、"I decide who I am"という意志を高らかな歌声に乗せていた。

わたしがQUEENの曲を好きな理由はその直球さだなあと何度も、本当に何度も思った。歌詞が不可解とされたBohemian Rhapsodyは、その直球さゆえに他人を混乱させる歌だったとは考えられないかな。フレディ自身にとっては怖くなるくらいにすべてを吐露した曲なんじゃないのかなって、ずっとずっと思ってるんだよね。闘って、隠れて、喚いて、縋って、何もかもを追い抜いて、がんじがらめにされた世界から逃げ出して、広い世界に出て行くための歌。狂詩曲と呼ぶにふさわしい彼の人生が、この曲名でひとつの映画になったこと、わたしはすごく嬉しく思う。安らかに、そして力強く、幸せに眠ってください。
純