“Bohemian Rhapsody”のピアノが1曲目で始まったとき、鳥肌がたった。
クイーンの歌はクイーンだけでは作ることができない。
聴き手のもとに届いて初めて、クイーンの歌として輝く。
それを徹底して曲を提示してきた彼らは、クリエイターの鏡であると本当に思う。
“Bohemian Rhapsody”をリード曲にした理由。
“We Will Rock You”のあの足踏みと拍手が生まれた理由。
“Another One Bites the Dust”を時代に合わせて、ディスコ調にした理由。
すべて「聴き手のため」だ。
フレディは特に、「聴き手のため」にパフォーマンスをしなくてはいけなかったのだと思う。
簡単に言うと、彼は孤独であったからだ。
作品のなかにも度々出てきた「家族」という言葉。
楽曲をつくるパートナーが「家族」であった彼。
聴き手に届いてこそであるということは、聴き手も楽曲をつくるパートナーということだ。
つまり聴き手もフレディにとっては「家族」。
孤独に打ち勝つために、きっとそうするしか無かった。
そのために、彼は声が枯れたって、全力でパフォーマンスをする。
聴き手のためであり、自分のためでもあるからだと思った。
すばらしいエンターテインメントでした!