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リュミエール!のkenjistanbulのレビュー・感想・評価

リュミエール!(2016年製作の映画)
5.0
ある風景をのんびり眺めているうちに、自分はおそらくこの風景をいつか、何年か先に、ふと思い出すことになるんだるうなと僕は予感する。
その風景を思い出しながら、「あぁ、僕はここにいたんだな。あそこに僕は影を落とし、僕の人世の一部があったんだな」と考える。

たぶん僕らは自分のための風景を見つけようとしている。そのために旅に出るし、そのために映画を見るし、そのために本を読むし、そのために酒を飲むのかもしれない。それらは、そこ、その場所でしか見ることのできない風景なのだ。僕らにはそのような風景が必要なのだと、思う。

根本的には、それらは使い道のない風景なんだ。でもある種の風景は、たとえ現実的に有用性を欠いていたとしても、僕らの意識にしがみついて離れない。

これまで僕も30以上の国と地域に足を踏み入れてきた。カイロの喧騒やイスタンブールの美しさ、ワシントンDCの力、コペンハーゲンの落ち着き、シドニーや東京の光り。それらの風景のいくつかは、そこに吹いていた風の感覚や、その時に抱いていたある種の思いのようなものを、僕に思い出させる。
僕はそのような風景を愛する。それらの風景の記憶は僕にとっては、いわば財産のようなものである。

風景を思い出し、その時の自分を振り替えることは、リアルな夢に似ていると言っていいかもしれない。風景の細部はとても繊細で現実的なのだけれど、そこでは前後の順番や、相対的な位置の認識が失われている。僕は断片の再現の中にいて、その断片はどこにも連結していないように感じられる。

例えば写真や映像を残して、その風景を残そうとすることもある。でも残念ながら、写した写真や映像が、僕らの目にした風景の特別な力を写し取っていることは、極めて稀であると思う。「いや、ここには何かもっと別のものがあったばずなんだ。これだけじゃないんだ。」そう思って、なんだか悔しくなる。僕らがその時に目にして、その時に心をかきたてられたものは、もう戻ってはこない。でも、実はそれもまた悪くない。
僕は思うのだけど、人生においてもっとも素晴らしく、儚いものは、過ぎ去ってもう二度と戻ってくることのないものだ。
そんなような風景を見せてくれたリュミエールには心から感謝をしたい。

これから色んな所に行って、色んな人に会って、色んなものを食べて飲んで、色んな映画を見て、本を読んで、、財産となる風景を得て、そこに影を落とし、それをまたどこかで思い出すために、生きていきたい、いや生きていくと思う。

今回見た108個の作品は、本当に良い映画の数々だった。

村上春樹、「使い道のない風景」と供に。
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