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リュミエール!の純のレビュー・感想・評価

リュミエール!(2016年製作の映画)
4.5
「映画は最初から世界に開かれた窓である」。こんなに豊かさが詰まった映像がひとの手で創造されたなんて、本当に感動的で心が躍った。たくさんの感情を視覚的、聴覚的に訴えてくれる今日の作品ができるまでそんなに時間は経っていないけど、驚く速さで進化した映画の一番最初にあったのは、日常を映し出すことに対する人々の誇りや喜びだったんだね。ひとが寄り集まって生活を営むということ。泳ぐこと。走ること。笑うこと。すべてが映画としても人生としても美しい瞬間のひとつとしてちゃんと息をしていて、短い時間の中でもモノクロの世界でも、いくつもの永遠と彩度がそこにはあった。

最初のキャストは群衆であり庶民だった、ってところも静かにぐっときたなあ。再現ではなくありのままに映し出した、っていうナレーションもあったように、脚本もあるし演出が加わった50秒ではあるけれど、確かに生きた街や人々を切り取ったたくさんの作品が本当に眩しかった。愛くるしい赤ん坊たちや若さ溢れる少年たち、労働者階級者たちの現実に面白おかしい道化師まで、映画の軌跡を温かい気持ちで辿ることができて、本当にとても嬉しく思う。

今回観た作品は108本もあるのに、どれも新しいたったひとつの映画であることが素晴らしかった。二番煎じなものが何ひとつとしてない。その作品にぴったりの構図や演出がキラリと輝いていて、その技術やセンスにはため息が漏れた。出演者が最後にカメラ目線をキメてくれるお決まりの演出とか、撮るのに夢中になっちゃって監督の腕が映り込んじゃうとか、そういう正直なところもすごく微笑ましい。本当にワクワクドキドキした気持ちでこの作品たちは作られたんだなあって、そしてそのワクワクドキドキを運びに世界に飛び出して行ったんだなあって、ちょっと遠くに思いを馳せてみたらすごく優しい気持ちになれた。

最後に、はじめの段落で書いた「永遠と彩度」について書いておこうと思う。当たり前だけど、この映画に出ているひとたちはもうすでにこの世にはいなくて、当時の景色だってありのままには残っていない。もうこの映画の中でしか、この時間は流れていない。でも、映画として形を残してくれたおかげで、本来は会えなかったひとたちと私たちは会えるし、自分とはゆかりもない場所を恋しく思うことさえできる。どんなに一方的な行為だとしても、私はそういう心の動きを後押ししてくれる映画という文化が本当に好きだし、映画を観て他のひとがどんな解釈をしたのか、どんな優しさや強さがそのひとに宿ったのかを話したり考えたりすることをこれからも大切にしたいなと思う。同じ作品を観てもひとによって受け取る作品の感覚は違って、それは映画が無限の色彩を帯びているってことで、そう思えることはつまり、私たちひとりひとりがちゃんとした色を持って生きているってことだ。だから、映画の色が自分の持つ色と混ざり合ったり反射したりしてくれる。自分の心の豊かさを引き出してくれるもののひとつが映画で、その映画は人々を愛するひとたちによって作られたもので、結局ひととひとってちゃんと誠実な気持ちで繋がり合えてるんじゃんって、そう思えることが私は嬉しいのかな。だから映画を観ることが好きなのかもしれないね。別に何かを好きな理由なんて整ってなくて、好きだってことは自信を持って言えるけど何で私はこんなに映画が好きなんだっけとふと思うとき、この映画が答えになってくれるような気がしたな。新しくできた素敵な映画館で、好きなことを一緒にしたり話したりできるひとたちと鑑賞できて、本当に幸せに包まれる時間だった。映画の歴史に、ありがとう。
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