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テルマのSSDDのレビュー・感想・評価

テルマ(2017年製作の映画)
3.9
■概要
田舎から学問のために都会に移り住んだ少女。過保護とも言える両親との関係の中、敬虔なクリスチャンとして育てられ禁忌として経験していなかったことが多く徐々に禁欲的な生活から脱却していく…そんな中ある日から発作を起こすようになってしまい不可思議な出来事が始まり出す。

■感想(ネタバレなし)
フォローさせて頂いているショウキさんのアイコンになっていたのでいつか観てみたいと思っていた作品。
まさかこのような内容だったとは…。

ホラー作品としては刺激的ではないものの、クリスチャン(キリスト教徒)からすると非常にショッキングな内容で日本人よりも海外の人々は反応が大きいであろうなと想像する作品。

面白いのはモチーフにしている聖書的な要素であるが細かくはネタバレありに記載します。

不気味な雰囲気と現実と非現実の境の曖昧さを楽しむ映画ですが、私も産まれた時からとあるキリスト教徒として生きており禁忌とされる事柄にがんじがらめで生きていた経験から主人公の気持ちが共感できてしまうので非常に感慨深い作品です。

未知の経験で他人が普通にしている事柄を好奇心を抑え、自身を純潔に生きていくことなど誰ができるのだろうか?
愚者は経験に学ぶとあるが、赤子から危ない痛い経験、辛い経験を経て成長するように未経験の事柄を禁止されていることに耐えることなどはできないと私は思います。

今は無宗教派ですが、宗教と救いについて改めて考えさせられました。













■感想(ネタバレあり)
少女は願うだけで叶えることを能力として持っていますが魔女と呼ぶべきなのか、悪魔と呼ぶべきものか、サイキッカーと呼ぶべきかは委ねられている気がします。

この作品のキーになる聖書的な描写は数多く、完全な人間であったアダムとイヴがエデンの園から追放された理由は、蛇と化したサタンが唆し禁断の果実をイヴが食したことから始まり、人々は不完全で死を経験することになったという内容があります。

このことから蛇が出現することは主人公の罪悪感の象徴として、蛇を表しておりあくまでも主人公が聖書によって幼い頃からイメージを植えられたことに発しています。

そのため、聖書的なシンボルはあくまで主人公の意識的なものであると思っています。能力を使うとカラスが舞うこと、水に潜って出ることなどは必要条件などではなく彼女の意識から起きた現象と思っています。

人間は脳を休めるためにある程度意識の幅を制限しています。そのため、今日のラッキーからはブルーと言われて家を出れば無意識に普段は見なかった青を意識して街の中を見るため、青の存在量に驚くことになります。

宗教も同様でシンボリックな内容や出来事をなんでもこじつけのように紐づけることを行い、神の御業だの試練と称することであらゆる理不尽や幸運を紐づけることで、自分の精神的に俯瞰的立場で観て楽になれるように作り替える作業をしています。

つまりは信じるものは救われるのは、捉え方を何か自身とは異なる大いなる力に置き換えることで肩代わりしてもらうことに他ならないのだと私は思っています。

まったく悪いことではないですし、それで心が平穏になるなら素晴らしいことなのですが、自信が宗教心を持っていた時を自己分析するとそうなるのだろうと思います。
私の人生は自身の選択で成り立ち、大いなる誰かさんの御業などではないと考えるようになって私は無宗教になりました。

この作品で面白いのはまるでサタンの化身だ!と主人公を観る人もいることで、冒涜的に感じる層がいることです。
聖書的知識がなければ変哲もないサイキックものなのですが、視点を変えれば不道徳で不謹慎と見える人々がいること、それをわざと狙って作っているのかなと監督の意図はわかりませんが非常に面白い作風でした。
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