筋肉ダルマ

グッド・タイムの筋肉ダルマのレビュー・感想・評価

グッド・タイム(2017年製作の映画)
5.0
観て幸せになる映画ではない。どちらかと言えば後に残るのは、疼くような傷。

作品を貫くのは兄・コニーの、マリアのようなナイチンゲールのような神のような愛。だけどそれは愛する弟を救わない。救えない。どうしようもないほどの無力感を感じさせるラスト。正直に言ってこのラストは全く好みではない。しかしこのラストすらどうにかして咀嚼し味わい尽くそうと思わせるほどこの映画を貫く愛は素晴らしいし、こちらの身勝手な言い分からすれば裏切りと言わせてほしいほどのラストも含めてこの映画が好きだ。

コニーは神さまみたいな愛を持っていて、だけどどこまでも人間だ。人間でしかない。だから結局のところ、無力だ。嘘を吐き、騙り、脅し、暴力を振るい、利用できるものを利用し尽くし、それなのに愛する弟を救うことができず、自身も捕まってしまう。映画はそこで終わる。始まったときから何も変わらない、むしろ状況は悪くなったと言えるかもしれない。関わった人はみんな不幸になった。何だこいつ何もしないほうがよかったじゃないか、と言われても仕方ないのかもしれない。コニーの行為をムダだとかエゴだとかクズだとか言うのは簡単だ。だって実際彼は自分を信じて親切にしてくれた人々を全力で踏み倒してきたにも関わらず何の結果も残していない。

だけど彼には愛がある。彼の大きすぎるほどの愛がこの作品を貫いていることで、何の救いもないラストすら好きだと思えるほどに、人間を愛しいと思うのだ。救いをもたらせなかったことこそ、彼が無力な人間であることの証だからだ。どれだけ想ってもそのために行動しても何もできないことがある。結果を残せないことがある。愛する人を救えないことがある。だけどそこには愛がある。人間は、自分と同じくらい、もしかするとそれ以上に、自分ではない人間のことを、強く想うことができるのだ。それだけで十分だ。それだけで人間がとても愛しくなる。その無力ささえ愛せるほどだ。

観ているときも、観た後作品について考えているときも、涙が出るほど胸が苦しくなる。記憶が大きな傷になって残っているのを感じる。だけどわたしは、この映画が大好きだ。
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