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少女ファニーと運命の旅のこーたのレビュー・感想・評価

少女ファニーと運命の旅(2016年製作の映画)
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少女の目線が、とても低い。
大人たちの雑踏にまぎれると、視界は遮られ、周囲はたちまちのうちにぼやけてしまう。はぐれた仲間を探すのも、ひと苦労だ。
そんなか弱い13歳の少女が、指揮官に指名される。任務は、秘密警察の取締りをかいくぐり、仲間の子どもたちとともに、安全なスイス国境まで無事たどり着くこと。
そんなのわたしにはムリだ!できるわけない!
少女は何度も弱気になりながらも、持ち前の頑固さを発揮し、周囲の善意にも支えられて困難を乗り越えていく。
子どもたちの伸びやかさが眩しく、かれらの純粋さが、戦争の愚かさをいっそう浮き彫りにする。
フランスは苦い歴史を背負っている。
かれらは大戦中、侵略という隠れ蓑に身をひそめ、その裏で特定の民族を排除するというおぞましい行為に、積極的に加担した。
大人たちは自分の身を案ずるあまり、子どもという国の未来までも売り、ぬけぬけと敵国へ差し出したのだ。
この国は、そのことを恥じている(なのに翻ってわたしたちはどうか。恥を美談で塗り固め、忘却のかなたへ葬りさろうとしてはいまいか)。
恥を乗り越えるのは、善意だ。
列車には誰も乗っていなかったという善意。
この荒屋には誰もきていないという善意。
官憲の追求をまえにして、たとえ子どもたちの正体を知っていても黙っているという善意。
立ち向かう勇気はなくてもいい。ひとりひとりは積極的でなくても、名もなきひとびとのその小さな善意が、ひとつの巨大なうねりとなって、マダム・フォーマンのようなより大きな善意を生み出す。
子どもたちは、大人がいなくても勝手に育つ。未来という希望さえあれば。
希望という手紙を子どもたちに託そう。
そこにはメッセージなどなくてもいい。苦難を切り抜けてすくすくと成長した子どもたちには、手紙の空白を自由に埋めるだけの聡明さだって、そなわっているはずなのだから。
手紙を託すということ自体に意味があるのだ。
善意が未来を作り出す。
希望が未来を明るく照らす。
さあ、未来への希望を子どもたちに託そう。