ケンヤム

ブラッド・ワークのケンヤムのレビュー・感想・評価

ブラッド・ワーク(2002年製作の映画)
4.8
「この命は誰かが罪を犯して授かったんだ」
というセリフが象徴するように、クリントイーストウッドは加害性を帯びた映画人だ。
行き過ぎた正しさを体現してきたイーストウッドは常に暴力を帯びた存在だった。
この映画は、宿命として背負ってしまった加害性そのものに落とし前をつけようとする男のもがきそのものだ。
胸に刻まれた大きな傷が、イーストウッドの映画人としての宿命を象徴している。
あの取ってつけたようなハッピーエンド。
もがいてもがいて落とし前をつけようと老体に鞭打ってもがいて、それでもイーストウッドが帰結する悪人に対する落とし前は、行き過ぎた正義の行為「私刑」であったというところが悲しい。
撃たなければならないという悲しさ。
撃つことによって、結局は宿命から逃れられないイーストウッド。
イーストウッドの映画について語るとき、純粋にその映画を語ることができない。
どうやったってイーストウッドの映画人としての生き様が脳裏によぎるのだ。
クリントイーストウッド、クリントイーストウッド、クリントイーストウッド。
クリントイーストウッドがそのまま映画だ。
宿命という確かなつながり。
赤い血のつながり。
自身を罰する事で、誰かを罰する加害性に落とし前をつけて、抱え込んでしまったまたは抱え込まされてしまった運命を、真に主体的に引き取る男を自ら演じて、それにもがく自身の身振りを映画にし続けてきた男クリントイーストウッド。
そんな風に彼のフィルモグラフィを眺めると、グラン・トリノが。
あぁ、グラン・トリノが。
という感じで言葉を失う。
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