えふい

リバー・オブ・グラスのえふいのレビュー・感想・評価

リバー・オブ・グラス(1994年製作の映画)
4.0
おそらくは中流階級かもう少し下層の人であろう女性と、いい歳して親のスネをかじる男性との、ケイパーものともラブロマンスともロードムービーとも定義できないこの代物は、そうした格式張ったジャンル映画的枠組みをいともたやすく横断してみせる軽やかさに横溢している。
その軽快なフットワークは本作を決して小難しいだけのアート作品には終始させず、むしろ映画的諸要素への気配りによって、娯楽が氾濫する現代において敢えて映画を嗜むことの原始的な理由さえ思い出させてくる。
どこか寄る辺なさを感じ、鬱屈とした毎日を過ごす彼女と彼。「たりないふたり」が運命的な出会いを果たす場面に淡いロマンスの予感を漂わせつつも、一転、お尋ね者になった(と彼女らが思い込んでいる)瞬間から本作は、クライムサスペンスやロードムービーの微かな芳香を纏いはじめる。
しかしなんらの打算もないまま車をひた走らせ、まさにその衝動的無計画さによってドツボにハマっていく様はサスペンス的知性など皆無な滑稽さだし、有り金が尽きたのでわざわざ帰宅して換金できそうなものを物色する姿もロードムービー的解放感からはほど遠い。
劇的な何事かがことごとく起こらないオフビート調の「出来事」の連続に、こんな世界にうみ落とされた人物たちへの憐憫の情を禁じ得ず、しかしそれゆえつい苦笑いしてしまうのである。
クライマックスでコージーのとった行動がほぼ唯一の物語的な"引鉄"がひかれるシーンなのだが、それさえも渋滞のなか身じろぎできずにいる光景に還元することで「物語」ではなく「出来事」として処理してしまう。最後に銃が捨てられた場所はどこであったか。
思わずハッとしてしまうようなカットや印象的な音使い含め、映画的なつくりにきわめて意識的でありながら、映画的お約束から容易に抜け出てしまう身のこなしの軽さ。「表現」というあまりに広大な荒野に、未だ埋もれている可能性に思いを馳せずにはいられない。
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