chiakihayashi

ビューティフル・デイのchiakihayashiのネタバレレビュー・内容・結末

ビューティフル・デイ(2017年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

『少年は残酷な弓を射る』でティルダ・スウィントンと共に親子の関係性のコワイほどの真実を抉り出したリン・ラムジー監督、6年ぶりの新作。今回はカンヌ国際映画祭の脚本賞及びホアキン・フェニックスが主演男優賞。

ストーリー・ラインは、行方不明になった少女たち−−−−たいてい、少女たちはペドファイル(小児淫行症)の餌食にされている−−−−の探索をウラ稼業で請け負っている男が、上院議員の娘を救出を依頼される。一旦は救出に成功したものの、父親の上院議員は不審な死を遂げ、少女は再び警官たちに連れ去られ、仕事仲間も連絡係も、さらには年老いた主人公の母親も無惨に殺される。母親の遺体とともに自分自身を葬り去ろうとした彼は、少女の声を聞き、再び彼女の救出に向かう・・・・・・。

ハリウッドのスターが主演をしてもおかしくはない物語だし、ヒーローが胸の奥深く癒されない傷を抱えている設定も珍しくはない(翳りを持たないヒーローに魅力があるはずもない)。が、この作品では主人公はいつ崩壊しても不思議ではない人生を送っている。繰り返されるビニール袋を被って我が身を窒息させようとする希死念慮(リストカットではないのは、彼が血しぶきや血の海を見慣れているからだ)。フラッシュバックするトラウマ。海兵隊員として中東の砂漠で目撃した少年の死、FBIの覆面捜査官時代にどうしようもなく救えなかった少女たちの折り重なる死体・・・・・・。

過去の心的外傷のうち、最も昔に遡る傷の影響が最も大きいとする理論に従えば、彼にとっては父の暴力で血まみれになった母の姿であり、さらには父親から「猫背は弱々しい」と常に譴責されていた幼い自分の姿である。

カンヌ国際映画祭の記者会見でホアキン・フェニックスは「監督も自分も、従来のヒーロー像からできるだけ遠い人物造型を探究した。少女は彼に救われるのではなく、自分で自分自身を救うのだ」という趣旨のことを語っている。まさしくこの作品の新しさを突き詰めて一言で言えば、ヒーローたる男性像の〈弱さ〉ということになるだろう。アンチ・ヒーローというよりは、ヒーロー像の脱構築と呼びたい由縁だ。

「弱々しい」と父から責められ続け、実際に父から暴力を振るわれる母を救えなかった弱くて無力な少年時代。だからこそ、弱くて無力な少女たちを救おうと試み、一層、男たちの性の暴力性という地獄に踏み込んで、自身の弱さ、無力さを思い知らされる・・・・・・。少女の救出に向かった邸宅で、黒幕の政治家が喉をかっ切られて死んでいるのを見つけた主人公は自らの〈弱さ〉を責めるように泣く。そして、ラスト、少女とふたり、ダイナーで向き合った際に、白昼夢のような幻想のなかで自ずと涙がこぼれ落ち、自分自身の〈弱さ〉に囚われていた過去と同時に、男として自身の内にもある〈弱さ〉の裏返しの暴力性にも決別すべく、銃の引き金を引くのである。

もちろん、以上はいささか強引な解釈かもしれないし、リン・ラムジー監督やホアキン・フェニックスらが決して意図してこういう作品を創り上げたわけでもないだろう。むしろ、彼女たち/彼らの無意識の集団作業が為し遂げた業に敬意と賞賛を! 美しいお天気の日に歩み出すふたりの未来に祝福を!
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