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ビューティフル・デイのrollinのネタバレレビュー・内容・結末

ビューティフル・デイ(2017年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

Only God Forgives

リン・ラムジー監督による『オンリー・ゴッド』へのオマージュであり、現代ノワールの決定版。年に数本は観ない理由がない映画があって、それがバシッとハマった瞬間はマジでI've been to meな気分。

容疑者ホアキン・フェニックス以降、傑作インヒアレント・ヴァイスを経てすっかり仙術チャクラを纏った芳醇な山田孝之ことホアキンが、ハンマーによる制裁を下す。しかも音楽は前作に続いてジョニー・グリーンウッド。つまり本作は限りなくポール・トーマス・アンダーソン監督作品の意匠に近い映画なのだす。

前半はほぼホラー映画の如くあらゆるカットが画面内に死角を作ることを前提としていて、それはいつ襲われるか分からない緊張感や、ジョーの視界の狭さを物語っとる訳やけれども、その中でも特に印象的なのが壁の模様や走行する車等、規則性のあるモチーフが画面内にさりげなく配置されていること。これによりジョーが現段階ではルーティンの中でかろうじて常軌を保っていることが分かるのでがんす。一点透視の構図には自分の中の清順イズムがざわつく。

少女(かつてのミラ・ジョヴォヴィッチを彷彿とさせる)の救出に向かう場面で画角は一気に解放され、彼には一点の死角も無くなる。遊び場のアパートへの特攻(ぶっこみ)シーンでタクシードライバーを引き合いに出したいのは分かるけど、監視カメラによる演出は最早パラノーマル・アクティビティであり、サイコごっこやシャイニングのように廊下に顕現する少女を含め、ジョーが死と親しい人物(駅のホームで幽霊のような少女を見る)であることを巧みに演出していると感じた次第です。
それまで彼の主体性を象徴していた鏡が、襲撃者を殺害するくだりでは割れているのも見事!

拷問の施された遺体を巡る絶望(と完璧なカット割り)、さらに自宅を襲撃した刺客(奇しくもライアン・ゴズリングに似てる)を返り討ちにし、添い寝&カップルのように手を繋ぎながら共にシャーリーンのI've never been to meを口ずさむ段取りでは、そこで初めて原題の意味が響いて泣けてきました。
クソな世界に放り込まれた子どもたち‥。ほんとクソだよな。ていうかあのシーンだけでもう満点やろ!

そして本作の最重要アイテム🔨
チェイサーやオールドボーイ然り(ジョン・ウィックも)、暴力映画に於ける🔨の使い手とは、神をも畏れぬ者=己の法に従って裁定する者であり、ジョーもやたらと🔨で殺りまくる訳やけれども、本作が上記の映画たちと異なるのは、ジョーが父親に端を発するトラウマに絶賛苦悩中であるという点。もちろん畏れる者に最後まで🔨を振り回すことは許されない。観客の溜飲を下げることは父親の論理だから。

シェイプ・オブ・沼のような入水自殺未遂シーンで、今際の際に少女へ見出した共感。カウントダウンを経て、映画は復讐という最大のカタルシスへ向けて収束していく‥‥訳がない。
何故なら本作は、少女を超自然的な神(むしろインフィニティ・ストーンをコンプしたサノス)と定義した『オンリー・ゴッド』なのだから。或いはある時点から彼女は現実には存在していなかったのかもしれない(これが原題の意味なら怖い)。

アルバムで通して聴くと毎回耐え難いジョニー・グリーンウッドのコンテンポラリーなサントラは、映画の中だけは有機的に鳴り響く。究極のプロだ。観客の生理を逆撫でするかのように繰り返されるミニマルな音楽的自殺。エンドテーマの4443拍のように、とてつもなく歪で勃起不全な映画。だけど愛おしいほど倒錯した救済とやさしさもありました。なんて日だ!
文句ナシの超絶傑作!!
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