バス行っちゃった

ビューティフル・デイのバス行っちゃったのネタバレレビュー・内容・結末

ビューティフル・デイ(2017年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

マーマを水中葬ということで、おやおやずいぶんと太っちょでかわいらしいキグナス・フォロワーですなあと思いかけるも、しかしホアキンはフェニックスなのだからふたつの星座を司っているはずはなく、しかしブロンズにはゴールドクロスを受け継ぐという伝統もあるのだから、場合によってはふたつのブロンズ星座を担うということもあるのではないか、などなど、いわゆるこれが結論を受け手側に委ねるスタイルというやつなのだろうなと知るに至ったという嘘。

事前と事後を描写することで描かれていない決定的瞬間を表現するというのはハネケのハッピーエンドやら北方謙三小説のチャンバラシーンやらでも使われている語り口で、余計な説明を省くことで見る側の想像力を物語に参加させる力強い方法だとは思うのだけれども、描写の加減や質を間違えると、描かれていないということの余地が返って狭められてしまったりして、返って見る側の想像力を奪うときがあるよなあとも思っていて。

事前の部分をぎりぎり情報量が足りている程度に手際よく進めていって事後の描写により注力すると、先ほどの刷り込み洗脳みたいな強制力もいくらか薄まるような気がなんとなくしていて、個人的にこの話はその点の塩梅がちょうどよかったなと。

偉そうに上から考えることを強いるようなこともなく、考えなくてもいいですよといったバカ扱いもされていない、文学的とまでは言わないまでも豊かな解釈の余地を持たせながらエンターテイメントしているので、ちょうど興味深いバランスで進んでいってくれた。

あえて言えば、主人公の描写が少し強すぎて、アメリカ版プチエンジェル事件自体の重要性や闇のようなものがちょっとあおりを食って薄まってしまったような気がしないでもないけど、まあそれも女の子のこれからを想うと胸糞悪く補完されるので問題ないっちゃないし、むしろ酷い目に合う子どもを見て感じる罪悪感を越えてでも語られるべき新しい側面があるようにも思えないので、描かれなくてよかったのかもしれない。

なんだこのひどいマッチポンプ文章は。