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ビューティフル・デイのdojiのネタバレレビュー・内容・結末

ビューティフル・デイ(2017年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

映画の役割というべきか、フィクションのあり方というのが今年に入ってから気になっていて、本作のエンディングは結構個人的にはしっくりくるリアリティがあった。

もちろん『タクシードライバー』的なものは期待していたし、その枠にはめてしまった方が語りやすい、解釈しやすいというのはあると思う。心に空洞ができてしまった人間が、なにか大きな目的性のようなもの、そしてそれがだれかにとって救いになるようなものに誠実性(fidelity)を発揮することで、ある種の治癒がもたらされるというものがたり。それが『タクシードライバー』的フィクションとして有効なのは(だった?)というのはとてもわかるのだけれど、本作はそういったフィクション性を途中までなぞりながらも、最後に大きなツイストを加えている。主人公の目的が、あっけなく少女によって達成されてしまう展開がまさにそうだ。

その後、主人公は無力感とともに自殺の妄想さえする。観客さえも、その展開にはカタルシスを奪われてしまったような気持ちすらする。それでも、少女が最後に放つ「美しい日」という素朴なことばとともに、どこか安堵のような表情を主人公は浮かべる。

それは、長らく用いられてきた『タクシードライバー』的なフィクションの効用を、ひょっとすると無効にするような結末だと思う。けれどどうだろう、大抵のひとのこころの空洞はどんな大義であっても埋めることはないし、ましてや暴力や復讐では解決するわけもない。そんな幻想のような解決への希望を、本作はあっけないくらい一蹴してしまう。大義なんかなくたっていいし、ましてや死ぬ必要だってない。そう言われているようなラストに安心がもたらされるのは、もしかしたらいまの時代の空気も関係しているのかもしれないとぼくは思った。
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