Lovelessというインパクト強めなタイトルとジャケットの雰囲気から、重そうな映画だなーと敬遠していたのですが、重い腰を上げて見てみたら……めちゃくちゃ面白かった!!! どちらかというと好物でした! まず、冒頭、ピアノとストリングスがダークで重ーい感じにタンタンタンタンタンタンタンタンと鳴り響く。😨さ…最初から…ヘヴィー……画面に映るのは、雪に覆われた黒ずんだ樹々、わらわら伸びるさらばえた枝、冷たいグレーの空……ワー、ど頭からとばしてるなー。学校が終わり、はしゃいで校舎から出てくる子どもたちのなかから、ひとり、とぼとぼ孤独に歩いていく少年。おうちに帰ると、新婚さんが物件の下見にやって来てる。自分らが出たあと、このマンションに入ろうかと。少年アレクセイの両親は離婚することが決まってて、新たに恋人がいるふたりは、ある日、どっちがアレクセイを引き取るかの押し付け合いをし、激昂して大声で罵り合う。それを息子のアレクセイはこっそり聞いてしまっている。このときの彼の表情……恐くて記憶に焼きついて離れない。で、両親はそれぞれの恋人と密な時間を過ごします。ふたりのセックスシーンがやたら生々しく描かれる。父のボリスの相手は妊娠してて、お腹が大きく、横にな寝そべる彼女を背後から突きまくる。母のジェーニャはとても禿げ気味の新しい彼氏と、激しいセックスをしている。必要以上に長くねっとりとセックス描写。その間に、息子アレクセイは姿を消してしまう……どこを探しても見当たらない。アレクセイはどこへ行ってしまったのか。ふたりはアレクセイを探し出そうとするのだが……という流れ。タイトル通り、果てしなくラブレスなふたりの様子が、荒涼たる風景のなか、じっくり、じっとり描かれていく。その景色は、茫漠たる人間の心の反映のよう。ほとんどニコリともすることなく、ふたりは自分のことばかりを気にしてる。父ボリスはいかに今の会社で安泰の地位を築くかに腐心し、妻のジェニーはどこにいてもスマホをいじり、SNSにあげる写真を撮るのに余念がない。そして、顔を合わせれば、言い合いが絶えない。どこからどうみてもそれが彼らの在り方のデフォルトであるようなので、どれほど彼らが新しい恋人と愛いっぱいにイチャイチャしていようが、その先どうなるのかが簡単に見通せてしまう。宿命とはまさにこのことだ。付き合う相手が変われば、自分の心の持ちようも当然変わるだろうと思うのは、人間なら誰しもあり得ることだ。だが、一時ののぼせ上りは、刹那の気休めでしかなく、やがて自分の心は、いつもの状態、デフォルトの状態に傾いていかざるを得ない。エンドレスなループに嵌ってしまったその様を、容赦なく冷徹に描き切っている本作は、それをさらに広く、社会的な状況へと押し広げ、人間と社会が不二であることを見せようとしているのではないか、と思った。後半は、彼らの人間性から視点が離れていくため、まるで彼らが、心の中に広がっていくラブレスネスを閉じ込めておくためだけの抜け殻のようにすら見えてくる。それが、あまりに虚しく、痛々しく、見ているこちらの心も彼らの茫漠たる心にインシンクしていくように感じられてくる。だが、そういった中に、一方で、人間的利他の精神を失うまいと奮闘する人々が描かれているのが興味深く、その描かれ方にそこはかとない厳しさがただよっているのは非常に示唆的だ。人間の心の中で、常に善と悪、正と不正、天国と地獄がせめぎ合っているからなのだろう。話が進むにつれて徐々にテーマの抽象性が高まっていき、特に終盤は、見ているこちらがどうとらえるかによって、色合いがかなり違って見えるはずである。ただ、そのズーーーーーンとした重みと見通しのよろしくないグレーな感じは、極めてペシミスティックな監督自身の視線なのかもしれないな、と思って。いやー、かなり居心地の悪い、気持ちの悪い映画だった。この作品を家族や恋人と見ることはマジでオススメしません。一人で見るか、今後ずっと友だちでいたい人と見て、いろいろ考えてみるのがイイんじゃないかな、と思います。僕は、やっぱり人間は、不断の向上心と他者への慈悲心が何よりも大事で、常に自分の在り方を自分に問いながら、昨日より今日、今日より明日、と自分の心を磨いていくしかないんだろうな、と思いました。自分の心の赴くまま、他者の苦悩に無関心に生きてると、心のあたたかいうるおいが枯渇し、気づけば荒涼とした心象風景が広がっている。人間とはそのことにどれほど盲目的になってしまえるか。これぞまさにトランスグレッション。