えくそしす島

ラッキーのえくそしす島のレビュー・感想・評価

ラッキー(2017年製作の映画)
3.4
【老いと、晩年】

もし持病も無く、病気もせず、ゲガもなく、そのまま歳を取り続けたとしたら最後はどうなるのだろう。
健康、健全、壮健のまま過ごしたとしても必ず終わりがやってくる。

それは「死」だ。

監督:ジョン・キャロル・リンチ
脚本:ローガン・スパークス、ドラゴ・スモンジャ

この作品は健康のまま「あるきっかけ」で自らの死について考えざるを得なくなった

“ラッキーの現実“

題材が題材だけに重苦しくなりそうなものだが、ラッキーの頑固で意固地ながら憎めない人柄に加え

ユーモアとキレのある会話
哲学的で示唆に富んだ会話

そのおかげか重さはあまり感じない。物語もあらすじが必要ないほど終始淡々と進み、大きな盛り上がりもほとんど無い。

しみじみじわじわ、ゆっくりゆったり

迫り来る“老い“による体や機能の衰え。それは、病ではなく年齢を重ねる毎に着実に忍び寄る。時に騙し、時に忘れ、時に沈み、最後の日まで寄り添っていくものだ。

必ず来る自分の終焉について、人は皆様々な想いを抱く。何故自分が…と怒り、苦しみ、抗い、葛藤し、いつしか自分なりに受容するのだろう。

死生観というものは厳密に言えば人の数と同じだけあるもの。その一つをラッキーという人物を通して体験する。

そう、この作品の評価はラッキーと自分が重なる部分次第で大きく変わる。
万人受けを狙わずに“その一点“だけを描いているので、考え方が合わなかったり共感出来ないと著しく点数は下がるし、視聴する側の死生観や年齢層によっても受け取り方が変わるだろう。

「ラッキーの日常」
何も無い田舎、行動範囲も徒歩圏内、趣味はクロスワードだけ。
いつもの道を歩き、いつもの店に行き、いつもの人達と会話をする。常に自分のペースで毎日のルーティンをこなす。

日常とは生き方だ

だからこそ、何の変哲もない退屈な日常が、寂しくもあり、楽しくもあり、安らぎもあり、そして堪らなく愛おしかったりもする。

何かを残せなくても、何かを成し遂げなくても、ありのまま、自分らしく生きる事が出来たとしたら、それはもうこの上ない人生だと自分は思っている。

ラッキーを演じたのは「パリ、テキサス 」などのハリー・ディーン・スタントン。
そして遺作でもある。この作品は彼を当て書きし、作中に出てくるエピソードや経歴も本人のものだ。この作品を通して彼の人生をも垣間見え、それはどう生きたのかに直結する。

これは、日本で死生学を広めたアルファンス・デーケンの言葉。
「死そのものよりも、死にゆく過程のほうに人は、遥かに恐れを抱くものです」

私も出来うる限り前を向いて歩めたらいいなー

そして、来るべき日に
自分の遺影を見た弔問客が、瞬時に呼吸困難を起こしながら悶絶し、坊主がリズミカルに肩が上下するほどの奇跡の一枚を用意したいなー