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母という名の女の小のレビュー・感想・評価

母という名の女(2017年製作の映画)
4.1
とんでもない母親の物語というインプットだけで観たのだけれど、不思議なことにとある映画に雰囲気が似ていると思った。だとするときっとこうなるよね、と予想していたら本当にそうなった。無音のエンドロールに、ちょっと呆然としてしまう余韻も同じ。鑑賞後ググったら、本作と思い浮かべた映画の監督は同じ人だった。

チラシには「隣にいるのは母ではなく、女という怪物だった…。」とあって怪物ぶりを観る映画かなと思ったものの、それ程でもないじゃん、というよりも化け物みたいな意味での怪物ではなかった。

女としての欲望を真っすぐ解放すると、社会的に母とされている人格が破綻し「母親としてあり得ないでしょ」みたいなことになってしまった人を、ここでは怪物としているらしい。逆にいえば、母は女としての欲望を抑圧することで母となっていると言いたいのではないかと。

シングルマザーっぽい母アブリルには、姉クララと17歳の妹バレリアの2人の娘がいて、親子は離れて暮らしいている。我慢のクララに対し、人生エンジョイ派のバレリアには同級生の彼氏がいて、すでにお腹の中には子どもがいるにもかかわらず、イチャイチャが止まらない、みたいな。

彼氏が実家から援助を断られたこともあって、バレリアはどう転んでも子どもを産んで育てるなんてできそうもない。そこでクララは毒をもって毒を制するというつもりなのか、妹が蛇蝎のごとく嫌う母アブリルを呼び寄せる。

はじめの方こそ母らしく献身的にバレリアの世話していたアブリルだったけど、孫娘のカレンが生まれると、次第に欲望を解放していく。

バレリアもまた、子どもができてもなお欲望を抑え込むことが良くできず、社会の規範でみたら、母?という感じだから、どっちもどっちかも。

でもさー、父は何やってんだよ、と。男は不自由を受け入れて父にならなくてもいいのか? 彼氏の父親も無責任だよねー。こういうとき女だけが我慢して母やらなければならないなんて、おかしくね?

ということで、自分的には母による男への復讐の物語でもあるように思ったのだけれど、どうだろう。エンドロールの余韻はバカすぎる男の気持ちの表現でしょ、ありゃ。しかし、本当の怪物はクララだったのかも…。

●物語(50%×4.0):2.00
・監督得意のオチ、みたいな。ところで、チラシに微妙に映っているクララが気になってきた。ビデオが出たらもう1回観ようかしら。

●演技、演出(30%×4.5):1.35
・やっぱりアブリルがイイ。

●画、音、音楽(20%×3.5):0.70
・不穏な感じが良いかも。
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