茶一郎

女王陛下のお気に入りの茶一郎のレビュー・感想・評価

女王陛下のお気に入り(2018年製作の映画)
4.2
 あのランティモスが普通の宮廷モノを撮るはずがないのですが、やはり普通ではない宮廷モノだった『女王陛下のお気に入り』。
 冒頭、豪華な衣装を剥ぎ取られる女王アンの醜い後ろ姿から「ハイ!ここからは皆大好きな高貴なお話はしませんよ!」という宣戦布告で、そこからプリンセスたるアンは全編、寝巻きや肌着を着て豪華絢爛な宮殿を汚し、おまけに暴飲暴食で吐き散らかす始末です。

 時は18世紀初頭、その醜いアンとは裏腹に高い知能を兼ね備えたサラはアンを操り、実験を握っている。そこに上流階級から没落した野心家アビゲイルが、文字通り「落下」して現れました。ここに女王アン、サラ、野心家アビゲイルの三角関係ドロドロの宮廷劇が始まるという訳です。

以下、動画でまとめたものはこちらです
https://www.youtube.com/watch?v=h1-F7KOVLkc

 つまるところ、この『女王陛下のお気に入り』は、「女王に気に入られなければならない」という出世ゲームに縛られた人物を悲喜劇的に描く現代的なブラックコメディです。現代的な言葉使いが多用されるのはもちろん、衣装も正確な時代考証に敢えて基づいておらず、また政治家を始めとした「男性」の役割が圧倒的に欠落している点、全て含めて現代的な物語と言えます。

 あるゲーム(ルール)に縛られた人物を描くブラックコメディと聞くと、何よりそれはランティモス的な題材で、「犬歯が生え変わるまで外出禁止」というルールがある『籠の中の乙女』から始まり、「独身者は動物に変えられる」『ロブスター』や「家族から一人生贄を出さなければならない」『聖なる鹿殺し』まで一貫してヨルゴス・ランティモス監督作には登場人物を理不尽に縛りつけるルールが存在します。
 本作『女王陛下のお気に入り』は初めて監督以外が脚本を担当した作品ですので、過去作ほどルールは押し出されていませんし、一まとめにするのはやや無理があります。しかしながら、後半に行くにしたがって三角関係の出世ゲームの面白さより、結局、階級社会というルールに基づくゲームに囚われた登場人物を黒く笑う姿勢が浮き上がりますので、やはりランティモス作品的です。

 『女王陛下のお気に入り』を撮影するにあたり、ランティモス監督は次の4作品を影響元作品に上げています。(私の勝手な影響箇所を書きます)
 『アマデウス』(上流階級におけるモーツァルトとサリエリ、二者の対決がサラとアビゲイルの対決に重なる)、『英国式庭園殺人事件』(お屋敷、特に室内の切り取り方、庭園と蝋燭を光源とした夜を美しく撮る)、『ポゼッション』(ズラウスキー的カメラワークと密室での口喧嘩)、『叫びとささやき』(密室劇の撮り方と女性同士の口喧嘩。全く本作と同じやり取りがあります)。
 しかし私が見ていて本作と最も似ていると思った作品は上記の4作品にはなく、この『女王陛下のお気に入り』はキューブリックの『バリー・リンドン』にソックリだと、鑑賞中、『バリー・リンドン』が頭から離れませんでした。
 『女王陛下のお気に入り』が上流階級から没落したアビゲイルの成り上がりのように、『バリー・リンドン』も農家出身のバリーの成り上がり物語です。また蝋燭のみを光源として撮影するためにNASAの月撮影用のレンズを使用した『バリー・リンドン』と同じく、本作でも照明を使わずに蝋燭の火のみで宮廷の夜を切り取っていました。

 ランティモスによる『バリー・リンドン』な本作『女王陛下のお気に入り』。最も『バリー・リンドン』らしさとランティモス作品らしい皮肉さが顔を出すのはラストでしょう。
 「女王に気に入られなければならない」ゲームをしていた二人ですが、結局、彼女たちが行なっていたゲームは、女王アンが寵愛しているウサギの一羽になることでした。ゲームに勝ったところで『バリー・リンドン』のバリー同様、階級社会を変える事はできずに、ずっとウサギは女王に踏み続けられるだけです。一方で、ゲームに負けた者は女王のルールから離れる事で自由を手に入れます。勝った方がウサギなら、負けた方は銃で撃たれなかったハトです。
 本作『女王陛下のお気に入り』は、そのハトのハッピーだか何だか分からない「自由」を讃える♪スカイライン・ピジョンをエンドロールに重ねます。♪スカイライン・ピジョンの冒頭の歌詞は、「君の手から解き放ち 遠い国へ飛び立たせてほしい」から始まりました。
 
 ゲームに勝ったけど負けた、ゲームに負けたけど自由を勝ち取った。『女王陛下のお気に入り』は、三角関係のドロドロなブラックコメディ以上に、階級社会そしてルールの上に成り立っている出世ゲームを黒く笑う映画です。
茶一郎

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