砂

女王陛下のお気に入りの砂のレビュー・感想・評価

女王陛下のお気に入り(2018年製作の映画)
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「ロブスター」「聖なる鹿殺し」など怪作を作るヨルゴス・ランティモス。今回題材としたのは、中世イギリスの宮廷で愛憎交えた権謀術数というのだから、とんでもないことになっている。


貴族の生活という虚栄の象徴と言える舞台で、監督特有の露悪すぎるほどの嫌らしいねっとりとした人間の欲のぶつかり合いが描かれる。

なんといってもエマストーン演じるアビゲイル、これがとにかく嫌な女なのである。成り上がり精神の塊で利用できるものはすべて利用し、脅威となれば無常に切り捨てる。それは権力を欲しているのではなく、もとはレディーの身分であったが父の失態により下賤の身に落ちた経験から来る上昇志向であり、すべては自分の享楽のため(裏返せば不安のため)を原理として行われる。
前作「鹿殺し」においてのサムのように外部から訪れる不和をもたらす存在であり、<支配>を軸に立場の変化に合わせて振る舞いもどんどん下劣になっていく。

いわば女王陛下への腹心を狙う女の争いであるが、2人の目的が異なる。
サラは冷徹な振る舞いこそすれど、女王を人として愛情を持って接しているようであるが女王はアビゲイルの甘言にそそのかされてしまう。

この女の戦いが妙にリアルで、観ているだけで疲れてくる。
美しい宮廷生活だからこそ、対比として際立ってくる。
いくつかの章にわけられており、副題がついているがそれがまた嫌らしい。

しかし本当にこの監督は言葉で形容しがたい不快感を映像化している。それは音楽の使い方であったり、表情の撮り方であったり、卑俗な言葉の連呼(本作においても現代的言い回しで多用されることから、作品が虚構であることを強調しているのだろうか)、「それ言わなくてもいいでしょ…」というねちっこく嫌らしいセリフ回しなど、枚挙にいとまがない。ハネケなどとはまた違うタイプだが、明らかに鑑賞者の情動を揺らすべく計算して作っている。

しかしそれでも観てしまうのは、映画において切り捨てられる、美しくない我々の本性や人間関係の<ノイズ>を、虚構をもってリアルに炙り出していることが刺さるからであろうか。すごく疲れるんだけど。でも観ちゃう。

次回はどんな怪作が出るか、楽しみ…
いや楽しみではないが観ちゃうんだろうな。
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