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ザ・スクエア 思いやりの聖域のumisodachiのレビュー・感想・評価

3.5
こんなに居心地の悪い映画もなかなかない。強烈な151分を味わった。カンヌ映画祭パルムドール受賞作品。

スウェーデンの国立現代美術館でチーフ・キュレーターを勤めるクリスティアンは、スタイリッシュでプレゼンテーション能力もあり、いわゆる成功者として人生を謳歌している。離婚した妻との間の2人の娘との関係も良好で、良き父親としての顔も持つクリスティアンは、慈善事業にも積極的。余裕があれば街中で人助けをするジェントルマンでもある。

そんなある日、クリスティアンは通勤途中で財布とスマホを盗まれてしまい、少し下劣な報復手段に出る。このことが引き金となり、クリスティアンの周りではあらゆることが裏目に。やがて、自身の立場も危うくなっていくのだが……。

いわゆる風刺の効いたブラックユーモアが随所に散りばめられた、現代アートの世界を舞台に人間の欺瞞を浮き彫りにした作品。クリスティアンが企画した次回の展覧会のタイトルは『ザ・スクエア』。”この中では誰もが平等になる”と提示された4メートル四方の正方形。利他主義をテーマにした展覧会のテーマとは裏腹に、いかに人間が利己的で醜悪な存在かと言うことが繰り返し繰り返し語られていく。

タッチはモザイク的というか、散文調。盗品とその報復という大きなきっかけはあるものの、太いストーリーが全体を貫いているというよりは、様々なエピソードが立ち上がっては消えていくという印象。そして、それぞれのエピソードが非常にエグい。思わず笑ってしまうのだが、実際は笑い事ではないものばかりで、途中から不快な居心地の悪さに胸やけがしてくるほどだ。しかも、そのどれもが身につまされるものばかり。ぶっとびすぎていないだけに、よりキツい。実際、上映中に3人シアターから退出していった。耐えられない人は少なくないだろう

余裕があると貧しいものに施しをするクリスティアンだが、本質的には自分中心で浅はかな人間だということが分かってくる。彼の行動の背後には、移民や貧困層に対する無自覚の差別意識と、薄っぺらな特権意識があるのだが、あらゆる手段でその点が執拗に攻撃されていくのだ。一晩を共にしたアメリカ人女性との情事後の小競り合い(←ここは相当おもしろい)と、その後ギャラリーで展開される会話が特に印象的だった。これでもかとクリスティアンを詰問していくアンは痛快だったが、段々と自分が責められているような錯覚に陥っていく不思議な感覚。現代美術をしたり顔で楽しむスクリーンの中の人々は、映画館でこんな映画を観ている私と何も変わらないのだ。(しかも、私は現代アートも好きだし)

便器を展示してアートの概念を変えたマルセル・デュシャン、黒い正方形で革命を起こしたマレーヴィチ。アートと非アートの境界線は、芸術における永遠のテーマだ。便器を見て「これはアートだ」とするスノッブなアーティストやアート愛好家たちは、やはりどこか滑稽なわけで、本作の根底にあるのは、きっとそんな感覚。そういう滑稽な人々が、救いを求める人々を目の前にしたとき=圧倒的リアルを目の前にしたときにどう行動するのか。社会性のある人間として、どう振舞うのか。本作で描かれるのは、徹底的に傍観者であり続ける彼らの姿だ。「助けて!」というセリフが登場する度に、傍観者としての人間を意識させられる。そのしつこさたるや尋常ではなく、意外なラストシーンの後には、なんだか放心状態になってしまった。

そして、唐突に挟まれるモンキーマンのシーン。あのシーンだけでも、ギリギリ耐えられるくらいの不快さが満載で、頭から離れない。ハッキリ言って、動画の炎上なんかよりこっちの方が問題だろと思うのだが(被害者いるし)、それも含めて皮肉なのだろう。イヤでも、自分があの場所にいたらどうしただろうと想像せずにはいられなかった。

さらに言うと、醜悪で皮肉な展開ばかりではないのも本作のミソ。ちょいちょい救いが見えるシーンが出てくるのがズルい。これじゃ、希望を捨てきれないじゃないか。徹底的な皮肉を描いておきながら、人類に対して抱いているポジティブな視点がブレないから、展開は不愉快極まりないのに、そこはかとなく爽快で明るい感じもするのだろう。上から目線の「寛容になろう」ではなく、他人も自分も社会を構成する一員なのだと肝に命じて生きていきたい。




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