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ザ・スクエア 思いやりの聖域のKSatのレビュー・感想・評価

4.0
これがパルムドールというのはちょっと意外。扱っている題材が現代アートというだけでなく、この映画自体が全体的にビデオアートのような瞬間に満ちている。

この映画の場合、多くの映画とは違い、「物語」や「情景」というより、「状況」の積み重ねでできている。しかし、「ザ・スクエア」というタイトルを意識させるかのように、画面は外側を見せずに限られた範囲だけを切り取っている。室内全体がきちんとわかるカットはあまりない。移民ばかりが住む貧しいマンションの近くで車に怪しい輩が群がる場面でも、その群がる人たちの姿は一切映されない。映像は語ることはせず、示唆するに留めてばかりだ。

テーマに関しても実に多彩だが、まるで掴みどころがない。やたらと物乞いがでてきて階層社会を強調しているかと思えば、明らかに人種間での乖離が示唆されていたりもする。そういう意味では、映像的なアプローチは全くで違うものの、同じスウェーデンのロイ・アンダーソンの「さよなら、人類」に通じるところがあるかもしれない。

だが、明解なのはやはりアートについての部分だろう。冒頭、アカデミズムの象徴ともいえる騎馬像の首が取り外し工事の途中で取れてしまうあたりなど、実に痛快だ。砂利山のインスタレーションを掃除機で吸い込み、それを「修復」するかと話すところはかなり笑えるが、現代アートの本質を突いていて地味に鋭い。

古くから芸術は上流階級や王侯貴族が庇護してきた。しかし、一方で本来の現代アートというのは、そういったハイソな世界とは真逆の、実にラフで過激な姿勢で文字通り「芸術」を追い求めているはずだった。

クライマックスのモンキーマンの場面はまさにそれを視覚化している。これでもかとばかりにハイソな、ドレスやタキシードを着た人々のいる豪奢な空間を、上半身裸の「芸術家」が破壊するのだ。

しかし、それすら、彼らが仕組んだ「演出」かもしれない、という展開には少しがっかりした。過激な表現に物申す市民団体と「表現の自由」を煽る者が同時に現れたりするくだりは、ちょっと明解すぎる。ジェンダー問題も少し蛇足か。

娘が遊んでいるのがキャンディクラッシュというあたり、なるほどスウェーデン映画だなあと思っていたら、映画が終わってしまった。
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