スウェーデン発の社会風刺ドラマ。
とは言え、一方でシニカルコメディのような、なんともカテゴライズしづらい作品となっています。
有名な現代アート美術館のキュレーターを務めるクリスティアン。
彼が次に手がける展示『ザ・スクエア』は、通りかかる人々を利他主義へと導くインスタレーションで、すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われるという“思いやりの聖域”をテーマにした作品である。
ある時、わずかな親切心から行った人助けをキッカケに、連鎖的に歯車が狂い始めて、、
これは、一見良識や理解があるように見える人間(特に富裕層?)の偽善を痛烈に皮肉っている作品です。
形式ばった会話、謙虚なようで謙虚でない態度、見て見ぬふり。
体面を気にして誰かを守ろうとする行動に出られなかったり、集団で群れることでヘラヘラ笑えるような人間だったり。
映画を観ていると、少なからず身に覚えのある感覚を味わうはず。
クリスティンもまた、自分が展示する作品の中で平等や助け合いを謳っておきながら、明らかに彼の潜在意識の中には「階級意識」があって、ごくごく自然に態度に出てしまっていますよね。
表面的にはその高尚な思いをアートで表現しようとしても、理想と現実は違っていて、実践できるかどうかはまた別のお話なのです。
この映画には無数の傍観者が登場しますが、日常出くわす気まずい状況を取り繕うような場面がかなりいやらしく差し込まれていて、結構チクチクさせられます。
思いやりとか優しさといった美辞を並べながらも、現実的にはすぐそこにいるホームレスに手を差し伸べようとしない自分とか、あの時どうしても声を上げられなかった自分とか、色々なシーンを思い出して居心地が悪くなる。
私達が日ごろ自負する「優しさ」や「思いやり」なんて、どんなに薄っぺらいものなのか思い知らされますねー、、
そうでありたいと願いながらも、いざとなるとすくんでしまい、自分だけは犠牲になりたくないと考えてしまう。
ただ、本作のオストルンド監督によれば、それは人間である証拠なのであり『生存本能』なのだと。
本音と建前のギャップはあまりにも滑稽だけど、それが人間の本質であり、『こうありたい』という理想の自分がいるから、野蛮になりきれないし、時に優しくあれるのかも。
ちなみに映画に出てくるアートは全て実在するそう。
現代美術に対する、ちょっと皮肉なユーモアも随所に感じられ、現代美術批評としても面白かったりします。
派手さもエンタメ性もない映画だけど、絶妙にユニークだし、なかなか味わいのある作品でした。