ヨーク

テリー・ギリアムのドン・キホーテのヨークのレビュー・感想・評価

4.4
めちゃくちゃ面白かったですね。
俺はテリー・ギリアムはあんまり詳しくなくて観た作品も『未来世紀ブラジル』『バロン』『12モンキーズ』『ラスベガスをやっつけろ』『ブラザーズ・グリム』くらいのもので深くは知らない。モンティ・パイソンもYOUTUBEで適当に見た程度なのでやはりそんなに詳しいわけではない。だがそんなギリアム初心者の俺でも本作『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』はめちゃくちゃ面白かった。もう最高と言ってしまいたいほど好きな映画だ。
テリー・ギリアムといえばメディアでその名が紹介されるときにはよく鬼才だの奇才だのといった形容がされる。俺が初めて観たギリアム作品は『未来世紀ブラジル』だったが確かに変テコな映画だと思ったし監督も変わり者なんだろうなぁという印象は受けた。後になって知ったが映画の内容を巡ってプロデューサーとやり合ったりしたとも聞いた。きっと気難しくもありながら表現に対しては真摯な人なんだろうというようなイメージを持ったこともあった。商業主義と戦う気高い芸術家みたいな感じですかね。でも本作を観て思うのはそういう孤高の天才みたいな凄い人じゃなくて、なんていうか自分自身でどうしようもなく処理できない夢と希望と絶望と諦めを抱えた割とダメなおっさんだという感じを受けますね。いやもうおっさんじゃなくてじいさんか。
じいさんといえば昨年のイーストウッドの『運び屋』もそうだったしスコセッシの『アイリッシュマン』もそうだったように本作もじいさんの人生の集大成のような作品ではある。『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』は自分の生涯の映画キャリアやその作風をまとめ上げた遺作にしてもいいという気持ちで臨んだ作品ではないだろうか。
まず映画は主人公を演じるアダム・ドライバーが新進のCM監督なのだが、かつて専門学生の頃にドン・キホーテをモチーフとした卒業制作を撮ったスペインの片田舎で新たな撮影を進めているが中々上手くいかないという場面から始まる。あまりにも上手くいかないのでちょっと息抜きにそのかつて卒業制作で撮影した寂れた田舎町に現実逃避のため遊びに行ったりする。なんかもう、その時点でノスタルジーが凄い。これ完全にギリアムが自身のキャリアの中で駆け出しだった頃を投影しているのだろうと思われる。いや間違いなくそうだろう。そしてその村にはかつての卒業制作で主役のドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャを演じた老人が今も健在だったのだがその彼とアダム・ドライバーが再開したことにより物語は大きく動き出すのだ。
非常に面白いのはそのかつてドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャを演じた老人は明らかに狂っていて自分が本当にドン・キホーテなのだと思い込んでいること。そしてアダム・ドライバーがお馴染みのお付き役であるサンチョ・パンサに見立てられることですね。原作ではドン・キホーテ自体が自分を遍歴の騎士と思い込んだ人物なわけですが本作では自分をドン・キホーテだと思い込んだ人物が出てくるわけだ。それはもう、明らかにギリアム本人の自己投影なのだと思う。
自分が本当に作りたい作品が予算的にも興行的な理由でも、また自身の才能や技術の無さでも実現できなくていつも誰よりもギリアム自身が自作に対して不満を持っていたのではないかというような気がする。実際、本作の作中に散りばめられているのは後悔や失望や嘲笑や諦めといったものばかりだ。ドン・キホーテが風車に突っ込んでいくことの愚鈍なあほらしさを自身の映画人としてのキャリアと重ね合わせて非常にシニカルに描いているのだろう。だがそれでもギリアムは自身をドン・キホーテだと思い込むことを肯定するのだ。自分が遍歴の騎士だと思い込んでいる頭のおかしい人物に自分を重ねることを良しとするのだ。
それは物語に対する信頼だとかいう生やさしいものではなく、妄想まみれの物語と共に心中してやるという強い決意なのだと思う。俺は本作の結末を観たときにこれは逃走ではなく闘争なのだと思った。どこまでも無責任な夢想で現実と闘ってやるという宣言だと思った。そんなもん拍手喝采するしかないですよ。
俺は作り話が好きですから。与太話とかホラ話とか。いいとか悪いとか上手いとか下手とかじゃなくて好きなんですよ。想像とか妄想とか嘘とか。そういう人にはこの映画はとてつもなく刺さると思う。物語賛歌ですよ。それは現実で上手く生きていけない負け犬共の遠吠えでもあるかもしれないけれど、それを高らかに謳い上げてくれたことに感謝します。
最後に書いておくが、やはりしかし素晴らしい映画なのだがそこはやっぱセルバンテスの原作がとてつもない名作なのだということもあるよなぁ、とも思います。そこにギリアム監督自身の人生が乗っかったことである種のシナジーが生まれているとも思うけれど。
最高だった。
ヨーク

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