Morizo

おクジラさま ふたつの正義の物語のMorizoのレビュー・感想・評価

3.4
映画副題にあるように、現代戦争とは生存のため等ではなく、(名目上は)「正義」と「正義」の闘いである。

「正義 vs 正義」は、ある絶対視点に立つと 「正義 vs 悪」であるために、戦争の大義名分となる。

2009年に発表されたザ・コーヴは、「正義 vs 悪」を描き出した映画だった。

そこを「正義 vs 正義」に戻そうという試みが、この映画だ。

それは同時に、「悪 vs 悪」と同義であるというメッセ―ジでもあった。

観ていくと、どちらの立場も「もっとできることがあるのではないか?」と思わされる。

活動家が価値の押しつけをしてくるのと同じように、太地町の人々(や日本人全般)もまた、外から伝統に口出しされることを拒否することは正義であると意固地になっている姿が映された。

それら2つの立場を比較的ニュートラルに撮った、よい映画だと感じた。

* 以下は極めて個人的な意見です。

人が不愉快に感じるものなんて文化や宗教によって異なるし、家庭環境といったサイズでも異なる。
すべての人が承諾できることしかできないのであれば何もできないし、お互いに尊重するべきなのではないか。

まったくもって、一理ある。

ただ、太地町が伝統・文化を捨ててもいのではないか?と私は映画を観て感じた。
その理由は…

1. 生きる術としてのクジラ(太地ではイルカもクジラと呼ぶ)漁の価値の低下

太地町におけるクジラ漁は、生きるために400年前にはじまったという。
しかし、「生きるため」の価値はかなり低下した。

クジラ肉は安全懸念(水銀含有)もあり、味も よくない上に、国際批判にさらされ、マーケット価値が劇的に低下( イルカ 一頭の食肉としての価格はこの20年で40~50万円 -> 1.2万円。 日本国民の平均消費量は40g/年 )している。
また、 世界動物園水族館協会(WAZA) からの制裁により、イルカを水族館に売ることも難しくなっている。

生きるためにはじめた伝統であれば、不要になった時点で新しい伝統を作りだす方向に舵をとってもよいのではないだろうか。
クジラに頼って生きるという方向性をある程度残した上でも。

世界の注目を浴びた町ということを逆手にとって事業をしやすくなっているだろうし、その方法を例えばシーシェパードと協力して模索する方向に歩み寄ってもよかったのではないか。

2. 世界家族化

世界が狭くなり、世界家族化しつつある今、世界の多くの人が不愉快に感じることは避けられるなら避けてもよいのではないかと思う。

そうして文化が最大公約数に集約して多様性を失うこととの天秤でもあるので大変むずかしいところであるが
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