ニューランド

すばらしき映画音楽たちのニューランドのレビュー・感想・評価

すばらしき映画音楽たち(2016年製作の映画)
3.6
☑️『すばらしき映画音楽たち』及び『ようこそ映画音響の世界へ』▶️▶️
この二本立てだから観る気になるが、一本一本だったら多分観なかったろう。この手のをテレビでじっくりやったら面白いだろうが、一般の劇場用映画だと時間的にも制約があって、どう考えてもそれほど優れた物は出来っこない。それにしては、2本ともまずまずの出来で、感動とかは一般的ドキュメンタリーだからないにしても、まぁ好感は湧く。映画における音は、舞台や現実に比べ人工的な映像の補佐を上回る、感情や親しみに直結し、魂や鳥肌もたつ核を成しているという謳い文句から始まって、一本目の映画音楽主体の方は、世代が変わり技術の進歩はあっても、20~21世紀に生まれた音楽を代表する映画音楽に於けるオーケストラ音楽の重要さをベースとして語り、2本目の映画音響全般について語る方では、映画界の保守的体質に於ける音響の仕事の本質的な打ち破り·創意の必要必然に、力が入ってる気もする。
『~映画音楽』。実体はない、空気の振動の形しか持たない音楽という芸術が、この100年は特に、後発の映画と結び付いてその大きな感情の核となったのは、メロディ·リズムを磨く中で、「モチーフ」の重視や·単純な二音符の繰返し·無音部の必要性等を活かし·映画の方向付けにはたらき、考え抜いたこの場面にはこれしかないというタイミングとマッチングは映画を強め、「音楽の最大のルールは、ルールが無いこと」と常に柔軟にあっての都度最大の努力が成されたことが、音楽の本質と共に語られてゆく。此方の方がこの後の作品(『~音響~』)より、広角や手持ち等柔軟に使いこなし、現代的語り口なのだが、映画音楽の中心は、盛衰はあっても常にオーケストラ、またはそれが意識されてきたことが、語られる。ジャズ·バンド、フォーク、原始的音楽、パンク·ロック、シンセサイザー電子音楽、色々取り入れられ目立っても、オーケストラの成果との差異のない移行·溶け込み·行き来の方も求められてく。機械的に合わせる完璧な調和などない、それを凡庸な事とするオーケストラ音楽の個性と豊かさ。ステレオ化、ミキシングもコンピューターでと技術も高まるが、残響などを計算したスタジオ選びをするオーケストラの音が重視される。監督らとの打合せ·了解は重要で、作品の組立の打合せの「スポッティング」、録音中の作曲家自ら指揮からモニター室で監督を伺いながらのコントロールの方が増えてきている、という。また、スタジオでの多くのマイクの設置、録音した物の様々なタイプの作成、それらを組み合わせての完成品という、後々まで緊張·労苦(歓び?)は続くが、やはり映画というとオーケストラ音楽の音色が代表してく。
それは本作で誰よりも、どの作曲家より、ジョン·ウィリアムズが多くのスペースを割かれ、称賛されてることからも。A·ニューマン、B·ハーマン、E·モリコーネ、A·ノース、J·ゴールドスミス、誰よりも。『JAWS』の大胆でシンプル繰返しから、『SW』以降の華麗で広がりある大交響楽のより一気本領発揮、慎重な熟考とテストを経ての最適を表し続く。そしてその後にパーソナルないわばB面も存在する。後継のデジタル活用や·なかったものを目指す 、H·ジマー、D·エルフマン、T·ニューマン、A·ロス+T·レズナーも、ウィリアムズの世界と一方で繋がりつづけてる(只、音痴の私はこの新時代の作曲家は、作品は観ててもその名前を確認·記憶しようともしてなかった)。
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『音響~』は、音楽と共に声·効果を、映画の音の三大要素として扱い、冒頭より音の波形のイメージ主調、前作の、作品の的確引用·監督と音響スタッフ(作曲家や音響効果デザイナーら)の語り以外に、心理学者解説·他分野の影響元(具体音楽·Jケージ·ビートルズ·富田勲)らも広く冷静に入ってくる。「才能の輪」のサークル的コンビネーションを扱う。両作ともエポックな作品として、『キング·コング』が出てくるが映像自体の評価は対照的。効果デザイナーも効果編集者も嘗ては地位が低く(私は今までW·マーチもB·バートも知らなかった) 、今も知名度はそれ程広がっておらず、幼少期の夢、試作や教育、出会いと組織づくり、まで丁寧に紹介される。心理学者は、音響はメロディとリズムでは脳の違う部分に届き、チョコ食べやSEXの時と同じ部位から同じドーパミンが流れる/映像の幾つかの中の特定の動きにフィットした音が見る者の注意をそこに集める/『E.T』ラストの別れ·任務達成の表現切返の鮮やかさ/等々を解説してゆく。
声と効果と音楽の獲得、映像と音響の同期、(後付け)音響編集、音楽全盛まで届くも、映画会社Topは音はあくまでサブ(ストーリーが頼り)、音源の使いまわしで、保守性から抜け出せない米映画業界は、テレビ·ニュース·ビートルズの後塵を拝してく。その中映画界の外から、脅威を逆に取り込んで、「具体音楽」やJ·ケイジの外部とリンクしつつ、テープレコーダー獲得→切り貼り編集→パターンでない生の音源探しと操作→撮影スタジオがいらない小型のナグラの取り入れ→サウンドトラックのマルチ化→ドルビーから5.1Chまでステレオ化→コンピューター化、を体現する元々は市井(から参入)の若者からの盛り上がりが起こり、ハリウッドは脅かされ·救われる。ゾエトロープに第三の男マーチがいたのを知らなかったし、人気で手が塞がると、次々指名後継が期待を越えてく流れも頼もしい。B·バート、G·ライドストローム···
結構ワクワクだが、終盤は、音響効果をより豊かに整えてくシステムの相互補完の話となって、ややボルテージは落ちる。ノイズ除去、アフレコ、背景の音の作り込み、録音物の再整理·補強ミキシング。
2本とも、個人的に大好きな作品がもっと取り上げられてると、興奮も違うのだろうが、個人的好き嫌いでいうと、凡庸な名前だけの作品が主だった。 映画における(、映画以外でも)音のパートには元々無知以下の私だが、以前テレビで見たB·ハーマンのドキュメンタリーの方がワクワクしたし、J·ウィリアムズというと日本の佐藤勝的な位置を思い浮かべるし、映画小僧的な音響効果デザイナーも悪くないが、(監督を超えた発想の)フランク·ワーナー辺りのクラスも取り上げて欲しかった気がする。
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