【perfect care ー 手取り足取り“完全介護”】
安心安全な映画。
各人物の心象や概況/症状は 講話に依って逐一処理される上、モノローグやフラッシュバックも多数導入されており 至れり尽くせり。
鮎川(岩田)が見る夢も 全て可視化した上で 更にモノローグを被せる周到ぶり。
父親(小市)や 美姫先輩(大政)らの“説明の権化”具合。
観客を一人も取り残すまいとする配慮だろうか。
不得要領者を生まず 安心安全。
全ては観客に対する製作陣の“やさしさ”なのだろう。
然しその“やさしさ”が、観客の思考力/自助努力/自立の機会を悉く奪う事となる。
『目線が同じになった』―ではそれ以前の 二人の高低差の表出は 果たして十分であったのだろうか。
“建築”のモチーフも あの程度で良かったのか。
学生時代に時を戻す端緒は「絵画」で適切だったか。
それらをせずに絵解き講話では、はっきり言ってやさしさを隠蓑にした怠慢である。
手取り足取り完全介護型の映画語りは、観客の理解力/想像力〈自立の力〉を 製作陣はまるで信頼していない事の無意識的宣明ともなっていよう。
私は自分の力で立てるんだ。
《DVD観賞》