netfilms

アランフエスの麗しき日々のnetfilmsのレビュー・感想・評価

アランフエスの麗しき日々(2016年製作の映画)
3.1
 Lou Reedの『Perfect Day』がかき鳴らされる中、幾つかの美しいパリの風景が描写され、自然豊かな土地にある邸宅へと足を踏み入れる。観光客がいない朝方に撮られた無人の風景はパンデミックの今を映し出しているようにも思え、少しぎょっとする。緑がかった光に彩られたジュークボックスの曲が終わりを告げ、書斎のある部屋にカメラはゆっくりと忍び込むと、男はタイプライターの前に座りながら抜け殻のような背中を曝している。ヴェンダースの映画ではしばしばスランプに陥った作り手が登場するが今作も同様で、それでも何か書かねばならないと捻りだされたのは、2人の男女のゆったりとした会話劇だった。『アランフエスの麗しき日々』というタイトルだが、撮影地が風光明媚なアランフエス宮殿であるかどうかは疑わしい。それでも自然の中に建てられた主人公の作家の邸宅の周りには緑が生い茂り、フランスの自然豊かな風景が見渡せる絶好のロケーションである。『ベルリン・天使の詩』では天上の世界から地上を見下ろしたが、今作では作家の空想世界が開け放たれた窓からワイドに拡がって見える。置かれたテーブルの前には男と女が少し離れたところに座っている。男は少し構えながら、女に初体験について幾つかの問い掛けをするのだ。

 80年代からヴェンダースのフィルモグラフィを絶えず観続けている者にとってもやはりヴェンダースの衰えは感じるもので、その作風は少しずつだが確実に老いに差し掛かっている。それが具体的にどの地点で始まったかというのは野暮な質問で、ゆっくりとだが確実にヴェンダースのキャリアが終焉に近付いているのは間違いないことなのだ。残念ながらもうヴェンダースは『パリ、テキサス』や『ベルリン・天使の詩』のような作品を撮った頃には戻れない。だが今作で実に5度目のタッグとなるノーベル賞作家ペーター・ハントケの散文的な物語と初めて調和が取れたことに、ヴェンダースはえらく満足していたという。映画は主人公となる作家の脳内に浮かんだ幾つもの会話劇を全編に渡って敷き詰める。主人公はこの書斎からほとんど動くことはないし、男女2人も窓枠から見える開け放たれたベランダから離れることはない。つまり人間たちの動きは制限される。作家はドイツ語を話し、登場人物2人はフランス語を話す。それはさながら世界が終わる日の語らいとなる。男女は互いの言葉に耳を傾け、木々がその姿に呼応するように共振する。その細やかな自然の予兆を男女はバイノーラルに受け止めるのだ。

 ペーター・ハントケのモノローグにルー・リードの歌、おまけにかつての盟友ニック・ケイブまでを招き入れ撮られた映画はこれまでで最も充実した内容と話すのだが、その作家としての充実ぶりに反比例するかのようにいまいちピンと来ない。確かにブノワ・デビエのカメラワークはこれまでのヴェンダースのどの作品よりも静謐で穏やかな印象を与えるが、監督の意向は組み入れても私にはひどく退屈に映る。
netfilms

netfilms