野澤劇場

我は神なりの野澤劇場のレビュー・感想・評価

我は神なり(2013年製作の映画)
4.5
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『我は神なり』は究極の選択だ。
昔あったろ?ゲスなお遊びでさ。
カレー味のウ○コか?
ウ○コ味のカレーか?ってヤツよ。
(;^ω^)

ま、究極の選択ったって『ソフィーの選択』には遠く遠く及ばないけどさ。思い出されるのは、梁山高校2年B組。二代目:麻宮サキだ。いわゆる「おまんら許さんぜよ!」の南野陽子さんだ。そんなナンノちゃんの究極の選択が本作『我は神なり』なんだわ。(←ちょっと違います)

『我は神なり』
原題:似而非。英題はThe Fakeだ。
似て非なるもの。要は“えせ”ってことだ。
お話は簡単。あらすじはフィルマの通り。

極論対象のせめぎ合いだ。

インチキ宗教を糾弾する、村一番の極悪人。
狼少年とも違う。義憤?とも、どこか違う。
観てるこっちは善悪のモノサシで測ってはみる。
時に善と悪なそれは、時に悪と善。
立つ側(がわ)で。思い込む側(がわ)で。
悪なのに善となるそれと、善なのに悪なそれ。

『我は神なり』
日頃絶賛する韓国映画だわ。これも4.5だよ。
でもね?安直過ぎやしねーかと自問自答する。
なんでもかんでも「良かった、良かった」って。

これ、全然よくねーかんな!?(だよ)

絶望バッドエンドなら何でもいいのか!?と。
(そこまで無理くりじゃあない)
最後はみんな死ねばいいのか!?と。
(最後はみんな死なない)
それでもね?監督…

アンタは心底、人が悪いや(;^ω^)
(だから最高なんだけどさ)

『我は神なり』
あらすじにもある通り、本作はインチキ宗教のお話だ。宗教。信仰。もっと突き詰めると信仰“心”のお話だ。だからこれが、村一番の極悪人じゃなくて、村一番の信頼厚い人物だったら全く別物の物語になってしまうんだよね。だから本作。

ウ○コ味の宗教か?
カレー味の極悪人か?だ。

それでもまだね? 物語。映画はさ。
観ているコチラの大方の予想通りに展開してゆく。半ば中だるみ?かと思うほどのじれったさは置いといても本作。順当に順当に歩を進めてゆくわけだ。そしてね? そうして最後にオチる最後。なんか日本語になってないけどさ。

絶望エンドじゃないのに、このダウナー。
水底に沈んでしまった、昇ることのない朝陽。

なんて言ったらいいんだ?もう。
いま感じることは邦題。これ、意味ないわ。うん。原題の似而非やThe Fakeじゃ吸い寄せられないってだけだ。邦題つけた人には申し訳ないけどね。…いや、ごめん。訂正。そこじゃないわ。この気持ちが言葉にできないのを邦題がウンヌン言うのはフェアじゃない。だから、もっぺん言っとく。

監督。あんた、本当に人が悪いよ(+_+)
そして、ありがとう。
以上。