小一郎

我は神なりの小一郎のレビュー・感想・評価

我は神なり(2013年製作の映画)
3.5
社会派アニメーション作家が本職の『新感染 ファイナル・エクスプレス』のヨン・サンホ監督作品。テーマは信仰、というより信念、信頼かな。

ダム建設のため水没の決まった田舎の村にトラブルメーカーの中年男ミンチョルが帰ってくる。彼がいない間に、妻子を含む村人たちは、新しくできた教会の若い牧師を崇めるようになっていた。

しかし、宗教団体の理事長は詐欺師で、村人たちの財産を狙っている。ミンチョルはそのことに気付くものの、暴力的で問題ばかり起こす彼に言葉に村人どころか、妻子でさえ聞く耳を持たない。

監督はインタビューで「『果たして人間は信念がなくても生きることができるのか?』あるいは、『間違った信念を持った人をあざ笑う権利が、私たちにはあるのか?』など、人間が持っている信念、信頼の本質について問いかけたかったのです」と述べている。

信念って「正しいと信じる自分の考え」なのだから、「間違った信念」ということがそもそもありえないような気がするけれど、監督はデリケートな問題だから、こういう言葉遣いをしたのかもしれない。

そもそも信ずるとは「そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む。」ことなのだから、対象が本当かどうか関係ない。そして信ずることができるかどうかは、その対象がいざというときに頼れる可能性があると思い込めるかどうかにかかっている。つまり頼れることが先にあって、信ずることができる。だからまず“奇跡”が起きる。

ミンチョルは村人にとってただ迷惑なだけで、娘には自己実現の足を引っ張るだけの存在でしかない。頼れる可能性はゼロと思われているミンチョルが「あいつは詐欺師だ」と本当のことを話したところで、信ずる人はいない。

では詐欺師の方がましかといえばそうではない。詐欺師にとって、頼れる可能性を示し人に信じてもらうことは手段であって目的ではない。つまりお金を奪ったら信頼の対象の座からさっさと逃げてしまう詐欺師は麻薬みたいなもので、それを信頼した人は物理的に困窮するだけでなく、心の支えを失い精神的にも困難に直面する。

困難に直面した人はどうするか。生きる気力を失うか、信頼の可能性を別に探すか、それとも自分が信頼の対象となるか。本作は信念・信頼なしに人は生きていけないと言っているように思うけれど、それを得るのは困難なようにも感じる。人が生きるということは、信念・信頼を探し続けることなのかもしれない。

●物語(50%×4.0):2.00
・物語は救いがなく、モヤモヤする。もっとも、はっきりできるようなことではないのかもしれない。あまりハマらなかったけれど、いつかまたじっくり考えてみたいテーマではある。

●演技、演出(30%×3.5):1.05
・字幕だったけれど、声に違和感とかなかったかな。

●画、音、音楽(20%×2.0):0.40
・やはり画がなあ…。