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祈りの幕が下りる時のardantのレビュー・感想・評価

祈りの幕が下りる時(2017年製作の映画)
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この作品があの過去の有名な作品と同じ構造を持っていることに気づかれた方もたくさんいるだろう。私は、被害者の地元で、情報を仕入れようとする刑事の立ち振舞を見た時、それはどこかで観た風景だと感じた。

社会学者、大澤真幸は、『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(KADOKAWA、2018)で、『飢餓海峡』(東映,1965)、『砂の器』(松竹,1974)、『人間の証明』(角川映画,1977)などの過去にそれなりにヒットした作品が、同じ構造を持っているということを、内田隆三『国土論』(筑摩書房、2003)を引用しながら、指摘している。そして、そのヒットの理由が、作品の中に、日本人の集合的無意識に触れるものがあったこと、その触れるものとは、我が国の敗戦直後の欺瞞に対する罪の意識であり、隠そうとすると罪を犯すしかないごまかしであると、分析している。

本作品も、これらの作品の範疇に加えられるものだろう。自らの出自、アイデンティティを隠し、自分の新たな小さな物語を守るために、善意の訪問者を殺してしまうという構図(『人間の証明』は善意の第三者ではないが。ちなみに、『人間の証明』について言えば、私は映画よりも、竹野内豊と松坂慶子が演じた2004年のTV版が好きだ)。
しかし、残念なことに、本作品には、他の作品と比べて、心に響くものに乏しい。隠さなければならない哀しみは他の作品と比べても、遜色ないのにもかかわらず。私は、主演の松嶋菜々子に、彼女の子供時代を演じた子役に感じた「内在する痛み」を感じることができなかった。

本作品では、加賀恭一郎の母がもうひとつのキーパーソンになっている。しかし、その母にも自分の息子と別れなければならない必然性を感じなかった。それは、例えば、坂元裕二脚本のテレビドラマ『Mother』(2010,日本テレビ)、『Womoan」(2013,日本テレビ)で田中裕子が演じた、母として娘を捨てなければならなかった哀しみに遠く及ばなかったことだけは確かなのだ。

さらに、付け加えるならば、捜査陣の上層部にもっとまっとうな役者を割り当てられなかったのかもと思ってしまう。

*『砂の器』がリメイクされ、3/28にフジテレビ系で放映される。愛人役を演じる土屋太鳳に期待したい。
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