Cisaraghi

桜桃の味のCisaraghiのネタバレレビュー・内容・結末

桜桃の味(1997年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

『桜桃の味』というタイトルから想像していたみずみずしさとは全く違う、土色と枯れ色と黄色、傾ぐ光に照らされた土と土埃の秋のテヘラン周辺部。コケル三部作で見た山の斜面に散在するマリモのような灌木もすっかり茶色くなって地面に溶け込んでいた。空気が澄んでいる日本の秋と違い、景色はもうもうとして霞んで見える。日本と逆で、夏は乾燥し、秋冬は湿度が高いからか、深刻な大気汚染の影響か。

主人公の車に乗るのはクルド人、アフガニスタン人、アゼリー人(通称トルコ人)。映画でアフガニスタン人をちゃんと見たのは初めてかも。しかも、モンゴロイド系のハザーラ人。神学生は中村哲先生に似た穏やかな人格者的な風貌をしていて、大変親近感を覚える。日本人はアフガニスタンではハザーラ人と間違えられることが多いというのも納得。ハザーラ人はペルシャ語系の言語を話すらしく、道理で普通に会話していた。アゼリー人=アゼルバイジャン人はイランの人口の¼を占める大集団らしい。

満足に学校に通えなかったというクルド人も、アフガニスタンからイランに来て下層労働に従事しているハザーラ人達も貧しそうだ。彼等と対照的にお金には困っていないらしい主人公。いくら切羽詰まっているとはいえ、クルド人のまだあどけなさが残る口の重い兵士に無茶な理屈を高圧的に押しつけ、神学生に対しても失礼な物言いをし、剥製師のおじさんの弱味につけ込むバディ氏の言葉はひどく、共感も同情もし得ないが、かといってそんなに嫌な顔つきではない。クルド人とハザーラ人の若者2人の微妙な表情が、『ホームワーク』の子供たちを思い起こさせる。

「この世のどんな母親もそれほど果物を揃えられない」。おじさんの言葉や、天国から見に来たくなる黄金色の紅葉の道にバディ氏の気持ちが動いたのは確かそうだが、結末はわからない。月色の窓、橙色を帯びた市街地の向こうに沈んでいく夕陽と雲間の月を、映画館の暗闇の中で観たかった。

メイキングかと思った最後の部分は、どうも季節が違う。草は緑で花が咲いている。わざわざ別に撮影したようだ。最初サマータイムかと思ったトランペットの曲は、ルイスアームストロングの1929年版「セントジェームズ病院ブルース」だそうだ。

おじさんが働いているのは、テヘラン北東部、山際にあるダー・アバド鳥獣自然博物館。背後に映っている山々は、東西に走るアルボルズ山脈の一部。アルボルズ山脈にはイラン最高峰5610mのダマーバント山はじめ、4000m級の峰々が連なってカスピ海とテヘラン側を隔てている。神戸のように北に行くにしたがって標高が高くなり、すぐ背後に富士山以上の高い山並みが屏風のように控えている高原都市テヘランは、その立体的でダイナミックな地形において、世界有数のフォトジェニックなメガシティではないかと思うのだが。

それにしても、キアロスタミはジグザグ坂道が好き。ていうか、イラン、線で引いたようなジグザグの道多過ぎ。
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